昭和の名言だけをピックアップ!
発言者 三岸節子について
三岸節子のプロフィールを紹介します。
- 三岸節子
- 洋画家。夫は戦前のモダニズムを代表する画家のひとり三岸好太郎。89歳で女性洋画家として初めて文化功労者となり、死の直前まで筆をとった。故郷の愛知県一宮市には三岸節子記念美術館があり作品が展示されている。作品にデビュー作のひとつ「自画像」や「太陽讃歌」シリーズ、「さいたさいたさくらがさいた」など。
三岸節子の他の名言
三岸節子の考えや人柄がわかる、その他の残された言葉。
- 「絵を描きたい炎が消えなかった。業(ごう)ですね」
- 「絵を描くことは、長く遠く果てしない孤独との戦いである」
- 「まだまだ生きている間は、一枚の作品に年齢相応の深い味わいを出してゆきたい」
- 「家族近親の面倒を見てそれが満足だというのか、なんと味気ないことだろう」
- 「私は人物が描きたい。最後の仕事は人物とゆきたい」
- 「骨を噛む悔恨と孤独。ギリギリの地点まで自己をつっ放して安心立命したいと希う。それをしなければ私は救われないのである」
- 「もっともっと深く掘り下げて、根元の自己をつかみだしてもっと根の深い作品を描きたい。広野の一本の大木のように何百年も生き続け生命力が得たい」
- 「世にい謂う安穏な暮らしというのが、私にとって一番の敵なのである。身を棄ててかかっているのである」
- 「私の運命は好んで困難な道を歩む。なんというむずかしい世界か、しかしやり遂げねば。カーニュに死すともよし」
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