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「私ばかりしあわせな死に方をしてすみません」辞世の句・最後の言葉

山崎富栄

遺書と記された山崎富栄の文章より。日付は1947年(昭和22年)8月29日。全文は以下。「私ばかりしあわせな死に方をしてすみません。奥名とすこし長い生活ができて、愛情でもふえてきましたらこんな結果ともならずにすんだかもわかりません。山崎の姓に返ってから死にたいと願っていましたが……、骨は本当は太宰さんのお隣りにでも入れて頂ければ本望なのですけれど、それは余りにも虫のよい願いだと知っております。太宰さんと初めてお目もじしたとき他に二、三人のお友達と御一緒でいらっしゃいましたが、お話を伺っておりますとときに私の心にピンピン触れるものがありました。奥名以上の愛情を感じてしまいました。御家庭を持っていらっしゃるお方で私も考えましたけれど、女として生き女として死にとうございます。あの世へ行ったら太宰さんの御両親様にも御あいさつしてきっと信じて頂くつもりです。愛して愛して治さんを幸せにしてみせます」  せめてもう一、二年生きていようと思ったのですが、妻は夫と共にどこ迄も歩みとうございますもの。ただ御両親のお悲しみと今後が気掛かりです。

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発言者 山崎富栄について

山崎富栄のプロフィールを紹介します。

  • 山崎富栄
  • 小説家・太宰治とともに入水自殺を遂げた美容師。父・山崎晴弘は日本発の美容学校「東京婦人美髪美容学校」の創設者。三井物産の社員と結婚していたが、夫は戦時中に行方不明となっていた。戦後、神奈川県鎌倉で美容院を開業、その後、東京の三鷹に移住し美容師として働いていた。太宰と出会ったのは1947年のこと。やがて太宰の愛人となり、肺結核を患っていた太宰の看病や執筆活動の手伝いを献身的に行った。そして、1948年6月13日夜、太宰とともに玉川上水に身を投げた。
山崎富栄

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