発言者 宮城道雄について
宮城道雄のプロフィールを紹介します。
- 宮城道雄
- 作曲家、箏曲家である。十七絃の発明者として知られる。旧姓は菅(すが)。 8歳で失明し、生田流の2代目・中島検校に弟子入り。わずか11歳で免許皆伝となる。 その後クラシック音楽の影響を受けた作品を発表。『水の変態』『春の海』『越天楽変奏曲』などは、現代でも演奏される名曲である。一方で、日本古来の楽器の改良や新楽器の開発でも多大なる功績を残した。 最後は、夜行急行列車「銀河」から、転落して死去。事故か自殺かはいまだにはっきりしていない。
宮城道雄の他の名言
宮城道雄の考えや人柄がわかる、その他の残された言葉。
- 「(盲目の)自分の歩くところは狭いが耳や心に感じる天地は広い」
- 「先へ先へと進む一方 終始ふりかえって見ることを常に忘れないようにしている」
- 「(盲目の)私は光という事に対しては他の人よりも一足さきへ死んでしまっているようなものであるが、せめて自分の気持ちの内側ではいつも明るく暮らしたいと思っている」
- 「月並みな詩や音楽にあらわすよりも 自然の音に耳をかたむける方がどれだけ勝れた感興を覚えるか知れない。私たちがどんなに努力しても あの一つにも勝れたものは出来ないであろう」
- 「(箏曲家の)私のただ一つの望みは 寿命の来るまで相変わらず箏(そう)が弾けるようにと そればかり願っている」
- 「慢心の出るのはまだ自分の芸が幼稚な証拠で、芸が進めば進むほど慢心は出来なくなるものである」
- 「日本では昔から師を思い、師はまた弟子を思う、その美しい心がやはり芸にも現れるのではないかと思う」
- 「人生には不幸を通ってくる幸福があるように、落ち葉のかなたには春の芽生が待っている」
- 「私はときどき天地全体の音というようなものを耳で想像してみることがある」
- 「謙遜のブレーキのかからない自信はやがて慢心となる」
- 「顔や姿に美人があるように(盲目の)私の耳には声の美人が聞こえてくる」
- 「自分の芸を完成させるためには、自分の一生が二度会っても三度会っても足りないと思っている」
- 「私は何ものにも囚われたくない、囚われるということは、一面には自ら亡びるということが暗示されているように、私は思うのである」
- 「自然の音はまったく、どれもこれも音楽ではないものはない」
- 「私の人生は芸の旅で 命ある限り修行である」
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