発言者 湯川秀樹について
湯川秀樹のプロフィールを紹介します。
- 湯川秀樹
- 日本人初のノーベル賞を受賞した理論物理学者。京都大学・大阪大学名誉教授で、京都市名誉市民でもある。1943年には最年少で文化勲章を受章している。中間子の存在を1935年に理論的に予言、1947年、イギリスの物理学者セシル・パウエルが宇宙線の中からπ中間子を発見したことで湯川理論の正しさが証明され、1949年にノーベル物理学賞を受賞した。この快挙は、敗戦後の日本に大いに元気を与える出来事となった。1981年、肺炎に心不全を併発し京都の自宅で死去した。
湯川秀樹の他の名言
湯川秀樹の考えや人柄がわかる、その他の残された言葉。
- 「一日生きることは、一歩進むことでありたい」
- 「アイデアの秘訣は執念である」
- 「先生に教えられた通りに、答えなければならない学問。そんなものに一生を託すのは、いやだ」
- 「私は孤独な人間である。そして我執の強い人間である」
- 「私の人生観の出発点は、自分が生きて喜び悲しんでいると同時に、自分のほかにも非常に多くの自分によく似た、しかしまた違ったところもある人たちが生きて喜び悲しんでいるということである」
- 「自分はなんで将棋はあかなんだか、それは指し切りをするからや、人生というものは、指し切ってはあかんのや」
- 「先頭に立って走ることは非常に愉快なことでありまして、外国の学者をあとについてこさせたらいいんです。その方が楽でもある」
- 「今日の真理が、明日否定されるかも知れない。それだからこそ、私どもは、明日進むべき道をさがし出すために、時々、昨日まで歩いてきたあとを、ふり返って見ることも必要なのである」
- 「学者として生きている限り、見知らぬ土地の遍歴者であり、荒野の開拓者でありたい」
- 「私の小世界の窓は,学問の世界の方に向ってしか開かれていなかった.しかし,その窓からは,私にとって十分すぎるほどの光がしじゅう入ってきた」
- 「人間の歩いている道が、どこで、どんな風にカーブするのか、あるいはどこで、岐れ道に出会うのか。それは容易に予測できない」
- 「天地(あめつち)は 逆旅なるかも 鳥も人も いづこよりか来て いづこにか去る」
- 「独創的なものは初めは少数派。多数というものは独創ではない」
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