湯川秀樹
ゆかわひでき
日本人初のノーベル賞を受賞した理論物理学者。京都大学・大阪大学名誉教授で、京都市名誉市民でもある。1943年には最年少で文化勲章を受章している。中間子の存在を1935年に理論的に予言、1947年、イギリスの物理学者セシル・パウエルが宇宙線の中からπ中間子を発見したことで湯川理論の正しさが証明され、1949年にノーベル物理学賞を受賞した。この快挙は、敗戦後の日本に大いに元気を与える出来事となった。1981年、肺炎に心不全を併発し京都の自宅で死去した。
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年表、功績
活躍の軌跡。『人生の残り時間』にも注目してください。意外な発見があります。
年月日 | 年齢(人生の残り時間) | 内容 |
---|---|---|
1907年01月23日 | 0歳 (あと74年) | 湯川秀樹、生まれる |
1981年09月08日 | 74歳 | 湯川秀樹、肺炎と心不全のため死去 |
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知られざる興味深いエピソードの数々。
- 湯川秀樹、曰く「理論物理学という学問は哲学に近い学問」
- 湯川秀樹はこう述べている。「理論物理学という学問は、簡単にいえば、私たちが生きているこの世界の、根本に潜んでいるものを探そうとする学問である。本来は、哲学に近い学問だ。」(書籍『旅人―湯川秀樹自伝』より。)
- 湯川秀樹は極度の整頓好きであった
- 私の机の中は、いつも整頓していた。家でも机の足が、畳の目に合っていないと、落ちつけない子であった。こういう細かい神経のゆらぎ——些細なことに対する厳密性の要求——を抑えるにも、私は長い間努力して来た。(書籍『旅人―湯川秀樹自伝』より。)
- 湯川秀樹の考える、学者と社会の関わりについて
- 「学問というものが、広く深い意味で、常に人間のためにあることは認められねばならない。思いがけない社会的関連も、生じるであろう。しかし、学問を尊重する気持が国民の間にあるのなら、学者はなるべく研究室に置いて、ことさら繁雑な世界にひき出さないようにしてほしいと思う。これは、私一人の注文ではないだろう。多分、多くの学者たちの切ない望みだと思って、代弁しているのである。私はもうずっと以前に、「名なしの権兵衛」ではなくなってしまっている。だれも、私をほうって置いてはくれない。利用価値があると思われること自体は、私に取って嬉しくないことはない。しかし、それが私にとって重荷であることもまた否定出来ない。」(書籍『旅人―湯川秀樹自伝』より。)
名言・最後の言葉
湯川秀樹が語ったといわれる言葉。人柄や当時の心情が見えてきます。
- 「一日生きることは、一歩進むことでありたい」
- 「アイデアの秘訣は執念である」
- 「未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である」
- 書籍『旅人―湯川秀樹自伝』より。
- 「先生に教えられた通りに、答えなければならない学問。そんなものに一生を託すのは、いやだ」
- 書籍『旅人―湯川秀樹自伝』より。
- 「私は孤独な人間である。そして我執の強い人間である」
- 書籍『旅人―湯川秀樹自伝』より。
- 「私の人生観の出発点は、自分が生きて喜び悲しんでいると同時に、自分のほかにも非常に多くの自分によく似た、しかしまた違ったところもある人たちが生きて喜び悲しんでいるということである」
- 産経新聞『次代への名言』より。
- 「自分はなんで将棋はあかなんだか、それは指し切りをするからや、人生というものは、指し切ってはあかんのや」
- 産経新聞『次代への名言』より。梅原猛との対談。
- 「先頭に立って走ることは非常に愉快なことでありまして、外国の学者をあとについてこさせたらいいんです。その方が楽でもある」
- 産経新聞『【次代への名言】警世の科学者編』より。後にこう続く。「ところが反対にどこかの学者がさっと先頭を切った。こりゃいかんというので、あとについて走って行くのは非常にしんどいですね。研究費にしても(中略)こっちが一億円かける頃には、むこうは十億円をかけて先に走っているということになると、差は大きくなる一方ですね。(中略)その間に別の国の学者が別の方面で飛び出した。また、そのあとについて行く、というのでは始終しんどいばかりで、つまらんですね」
- 「今日の真理が、明日否定されるかも知れない。それだからこそ、私どもは、明日進むべき道をさがし出すために、時々、昨日まで歩いてきたあとを、ふり返って見ることも必要なのである」
- 書籍『旅人―湯川秀樹自伝』より。
- 「学者として生きている限り、見知らぬ土地の遍歴者であり、荒野の開拓者でありたい」
- 書籍『旅人―湯川秀樹自伝』より。
- 「私の小世界の窓は,学問の世界の方に向ってしか開かれていなかった.しかし,その窓からは,私にとって十分すぎるほどの光がしじゅう入ってきた」
- 書籍『旅人―湯川秀樹自伝』より。
- 「人間の歩いている道が、どこで、どんな風にカーブするのか、あるいはどこで、岐れ道に出会うのか。それは容易に予測できない」
- 書籍『旅人―湯川秀樹自伝』より。
- 「天地(あめつち)は 逆旅なるかも 鳥も人も いづこよりか来て いづこにか去る」
- 湯川秀樹作。
- 「独創的なものは初めは少数派。多数というものは独創ではない」
- 2004年放送、NHKのTV番組『あの人に会いたい』より。
記念館、銅像
ゆかりの品が展示されている主な記念館。現在でも残る生家や墓所、縁のある土地にたてられた銅像など。
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