年別に見る亡くなった、生まれた有名人(昭和編)
1911年に生まれた有名人
1911年はスポーツ選手、芸術文化、芸能人、学者・教育者のジャンルで10名の有名人が生まれました。写真とプロフィール、名言つきで紹介します。各リンクから人物詳細でもっと詳しい情報を見ることもできます。
1911年に亡くなった有名人の一覧もあわせてどうぞ(0名)。
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1911年1月20日(金)
1911年2月26日(日)
1911年4月8日(土)
『酒は涙か溜息か』『青い山脈』『長崎の鐘』などのヒット曲を歌った国民的歌手。作曲家、指揮者としても活躍した。本名は増永丈夫。スポーツ選手以外では初となる存命中に国民栄誉賞を受賞した人物としても有...(続きをみる)
- 藤山一郎の名言
- 『歌は言葉に曲がついたもの。曲は言葉を犠牲にしてはならない』
1911年5月21日(日)
1911年6月4日(日)
明治大学野球部の名物監督。選手経験はなかったが、その熱血スパルタ指導により、秋山登、土井淳、池田英俊、辻佳紀、高田繁、星野仙一、名取和彦、鹿取義隆、広沢克己、福王昭仁、武田一浩など数多くのプロ野...(続きをみる)
- 島岡吉郎の名言
- 『欠点への挑戦が人間を強くする』
1911年6月26日(月)
99歳で発表した詩集『くじけないで』が160万部のベストセラーとなった詩人。「100歳の詩人」として多くのメディアでも取り上げられた。10代のときに奉公へ出、33歳で結婚。主婦のかたわら和裁で生...(続きをみる)
1911年8月20日(日)
昭和初期から中期を代表するウクレレ奏者、流行歌手。ハイカツの愛称で親しまれた。なお、歌のおねえさんのはいだしょうことは同姓なだけで関係がない。(続きをみる)
- 灰田勝彦の名言
- 『人々に夢と希望を与える歌い手でよかった』
1911年10月20日(金)
「メンズファッションの神様」といわれた戦後を代表するファッションデザイナー。日本メンズファッション協会最高顧問で、ファッションだけでなく、ライフスタイルから思想にいたるまで戦後日本の文化に多大な...(続きをみる)
- 石津謙介の名言
- 『ダンディーとは自分勝手にうぬぼれること』
1911年10月25日(水)
昭和に活躍したジャーナリスト、グラフィックデザイナーである。1948年、盟友・大橋鎮子とともに、現在も根強い人気を誇る生活情報雑誌『暮しの手帖』を創刊した。(続きをみる)
1911年11月21日(火)
日本プロ野球選手であり監督。 選手時代よりも、「三原魔術」「魔術師」「知将」と賞賛された手腕で、歴史に残る名監督として知られる。 また、晩年は日本ハム球団の球団代表兼代表取締役社長でもあった。(続きをみる)
- 三原脩の名言
- 『まだ首の皮一枚でつながっている』
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