年別に見る亡くなった、生まれた有名人(昭和編)
1912年に生まれた有名人
1912年は芸術文化、スポーツ選手、その他、学者・教育者のジャンルで10名の有名人が生まれました。写真とプロフィール、名言つきで紹介します。各リンクから人物詳細でもっと詳しい情報を見ることもできます。
1912年に亡くなった有名人の一覧もあわせてどうぞ(0名)。
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1912年1月8日(月)
1912年2月3日(土)
『最後の無頼派』とよばれた小説家。同じ東京帝国大学の学生だった太宰治と親友関係にあり、放蕩無頼に振る舞い、文壇の先輩である井伏鱒二などにたびたび尻拭いをさせるなど迷惑をかけていた。代表作は『リツ...(続きをみる)
- 檀一雄の名言
- 『モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん』
1912年2月9日(金)
第35代横綱。いまだ破られない69連勝記録を持ち、大相撲史に残る力士であるばかりか戦前の国民的英雄であった。 四股名は双葉山定次(ふたばやまさだじ)。本名は龝吉定次(あきよしさだじ)。 圧倒...(続きをみる)
- 双葉山の名言
- 『われいまだ木鶏たりえず』
1912年2月11日(日)
夫の日本画科・丸木位里とともに、原爆の絵を描き続けた女流画家。1995年にはノーベル平和賞候補にも選ばれている。一方で、柔らかいタッチの絵本を描くことでも知られ、いわさきちひろを指導し強い影響を...(続きをみる)
- 丸木俊の名言
- 『頼まれもせず、売れもせず、という絵を描くのは気持ちがいい』
1912年3月10日(日)
1912年4月22日(月)
昭和を代表する映画監督、脚本家のひとり。自らの作品へのこだわりを貫くため、独立プロダクション『近代映画協会』を吉村公三郎、殿山泰司らと設立。近代映画協会会長となり活動したことから、日本インディペ...(続きをみる)
1912年5月25日(土)
1912年7月20日(土)
「宇宙開発の父」「ロケット博士」と呼ばれる航空工学、宇宙工学のスペシャリスト。2010年に地球に帰還し日本中に感動を与えた探査機「はやぶさ」がサンプルを持ち帰ってきた小惑星「イトカワ」は糸川英夫...(続きをみる)
- 糸川英夫の名言
- 『人生で大切なのは、失敗の歴史である』
1912年11月28日(木)
インド哲学、仏教哲学といった東洋思想研究の世界的権威。また、西洋哲学についても旺盛な研究を重ね、東洋哲学と西洋哲学の超克を目指した。20年以上もの歳月をかけて完成させた『広説佛教語大辞典』や『ブ...(続きをみる)
- 中村元の名言
- 『世界が一つになるには、理解と寛容が絶対必要である』
1912年12月5日(木)
映画監督、脚本家。黒澤明のライバルと言われた映画界の巨匠である。監督デビュー作は1943年の『花咲く港』でいきなり山中貞雄賞を受賞するという華々しいスタートを切った。なおライバル黒澤明も同年、『...(続きをみる)
- 木下恵介の名言
- 『作家はいつの時代も人間を描かなければいけない』
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