松田優作
まつだゆうさく
現在でも絶大な人気のカリスマ俳優。日本人の父と在日韓国人3世の母との間に生まれる。 劇団での下積みを経て、ドラマ『太陽にほえろ!』のジーパン(柴田純)役で人気が爆発。 念願だったハリウッド映画デビューを『ブラッド・レイン』(リドリー・スコット監督)にて飾るが、その翌年に膀胱癌で帰らぬ人となる。 代表作は、ドラマ『太陽にほえろ!』『探偵物語』、映画『家族ゲーム』『探偵物語』『ブラック・レイン』など。 息子の長男・松田龍平、次男・松田翔太はともに俳優として活躍している。
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年表、功績
活躍の軌跡。『人生の残り時間』にも注目してください。意外な発見があります。
年月日 | 年齢(人生の残り時間) | 内容 |
---|---|---|
1949年09月21日 | 0歳 (あと40年) | 松田優作、生まれる |
1989年11月06日 | 40歳 | 松田優作、膀胱癌により死去 |
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知られざる興味深いエピソードの数々。
- 松田優作の葬儀で、盟友・成田三樹夫発したコメント
- 松田優作の葬儀に出席した成田三樹夫は以下のようなコメントの残している。「人の命なんてものは、まったくあてになりませんな…」。翌年、成田三樹夫は胃がんによりこの世を去った。
名言・最後の言葉
松田優作が語ったといわれる言葉。人柄や当時の心情が見えてきます。
- 「つねに自分をマイナスの状態にしておく。僕は足していくことよりも、引いていくことの方が好きですから」
- インタビューにて。
- 「意識はもうほとんど世界なんですよ」
- 映画『SOULRED』より。以下続く。「今まで東洋人がね、チャンバラとかサムライとかカンフー以外で、芝居やった人いないと思うんですよ、東洋人で。そのことに関してね、この国の俳優たちが向こうの映画を観るようにして観るでしょ?なんで、悔しいとか俺だったらこうするとか、そういう意識を持てないのか。それに対する僕は本当にテーゼですね、やろうとしてることはね」。
- 「真剣にやっぱり映画にむかって欲しいですね。で、頭きたら、面白くなかったら帰ればいいんですから」
- インタビューにて。
- 「魂ってのは絶対になくならない。その中で魂を強く持ってる、それが必ず未来に出て来るんです」
- 死の間際、担当医に語った言葉。
- 「いませんね、仲間なんて。先輩でも後輩でも、同じくらいなやつでも、緊張できる関係がいいわけで」
- 『SOPHIA』(1986年10月号)より。
- 「なんかリズムが違っている、どこかつまずいたりしている、破れている。そんな人って、男でも女でもチャーミングに見えるんです」
- 『SOPHIA』(1986年10月号)より。
- 「40からですよ、むちゃくちゃやるのは。待っててくださいよ」
- 『キネマ旬報』(1986年10月号)より。松田優作は40歳で亡くなった。
- 「やっと出会えた仕事なんだ」
- みずからが癌であることを知りながら、抗がん剤治療などを断った。ハリウッドデビュー作『ブラック・レイン』に出演するためである。
- 「うなだれていてもしょうがない。自分はできると信じ込め。もっと前を向いて生きろ。生きてることは楽しいことなんだ」
- 「お前たちは、俺には絶対に勝てない。なぜなら俺は24時間映画のことを考えているからだ」
- 松田優作が、酒の席で俳優仲間に語った言葉。
- 「よそで燃焼するんだったら、この稼業(俳優業)で燃焼したい。よけいな闘い方はしたくない」
- 『バラエティ』(1977年10月号)より。取材記者とのトラブルを経て。
- 「天命とか宿命があったりするような気がするんです。で、それに対し、逆らわないでいこう、と……。ただ、それでも、いま闘わなきゃならないことでは、100パーセント力を出したいな、と」
- 『バラエティ』(1977年10月号)より。
- 「ファンほど恐ろしいものはないし、勝手なものはないし、また、ありがたいものはないですね」
- 『週刊明星』(1981年4月23日号)より。以下、こう続く。「その時ばっかりに固執して、こっちが抱き込んでいこうとしても、むこうはどんどん変わっていってしまうし、ぼくよりいい人を見たら、そっちへ行っちゃうしね。それを「待て」とも言えないでしょ。こだわってしまうと、かえってつまんなくなってしまうんですよ。」
- 「(共演した女優について)ファックしたいような気持にさせてくれませんね、なかなか」
- 『週刊明星』(1981年4月23日号)より。
- 「男から笑いとか、喜びとか、傷つき方とか、別れとか、教えてもらっても、全部忘れちゃうから。全部、女から教えてもらうんですよね」
- 『Studio Voice』(1982年6月号)インタビューより。
- 「いますごく自分の中でさえてるなと思ってる時間、たくさん持ってるけど、それはやっぱり、死ぬまで続くものでもないですから」
- 『Studio Voice』(1982年6月号)インタビューより。
- 「いまのぼくの大部分は彼女(妻の熊谷美由紀)から得たものですね。男は女から教わるものがたくさんある。すべてがそうだと言ってもいいんじゃないですか」
- 『コスモポリタン』(1983年2月号)インタビューより。
- 「結局、女を意識することは自分の男を意識することでもあるわけだから」
- 『コスモポリタン』(1983年2月号)インタビューより。
- 「ぼくにはもうピストルを持って走ること以外できないんじゃないかって……セリフのひとつも満足に言えない」
- 『MORE』(1983年2月号)のインタビューより。
- 「おれはまだ発展途上人なんですよ。(中略)やたら飾りばっかりたくさんつけて……。いまはひとつひとつそれをはずしていく作業をしているわけです。まだ33歳だから間に合うよね」
- 『non・no』(1983年10月5日号)のインタビューより。
- 「人生には、とにかくやってみなきゃわからないってことが多すぎますよねえ。やるかやらないか、それは自分の判断ですけど」
- 『non・no』(1983年10月5日号)のインタビューより。
- 「これからやることを言えなんて、それじゃ、犯罪計画をばらせって言うようなものですよ」
- 『non・no』(1983年10月5日号)のインタビューより。
- 「自分のやってきたフィルムっていうのは、宝物っていえばみんな宝物だけど、なくしたいっていやあ、みんななくしたい」
- 『JUNON』(1983年6月号)のインタビューより。インタビュアーは高平哲郎。後にこう続く。「自分のフィルムをひそかに楽しむようになったらおしまいだと思うけどね。」
- 「僕はもっともっと内面に向かっていく暴力を、もっと自分の中に噴出してくる、その神経にさわってくるような暴力を、考えていきたいと思っています。」
- 映画『SOULRED』より。
- 「真剣にやっぱり映画に向かってほしいですね。癖(へき)ですから、役者の。いつも勝負してるっていうのは」
- 映画『SOULRED』より。
子孫・子供
偉人の血を受け継いだ方々を紹介します
- 松田龍平(まつだりゅうへい)
- 松田優作の息子(長男)にあたる。俳優。
- 松田翔太(まつだしょうた)
- 松田優作の息子(二男)にあたる。俳優。
- 太田莉菜(おおたりな)
- 松田優作の義理の娘にあたる。長男・龍平の妻。ファッションモデル。
記念館、銅像
ゆかりの品が展示されている主な記念館。現在でも残る生家や墓所、縁のある土地にたてられた銅像など。
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