一ノ瀬泰造
いちのせたいぞう
報道カメラマン。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、UPI通信社東京支社に勤務されたが試用期間が終わると解雇され、フリーランスの戦争カメラマンとなった。1972年、カンボジアに入国するとベトナム戦争、カンボジア内戦を取材し、「安全へのダイブ」がUPIニュース写真月刊最優秀賞を受賞するなど精力的に活動した。そして、1973年11月、当時、共産主義勢力であるクメール・ルージュの支配下にあったアンコールワット遺跡への単独一番乗りを目指し、ひとりアンコールワットへ向かった。この時、友人に宛て「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」という手紙を残した。しかしその後、一ノ瀬の消息は途絶えた。一ノ瀬が見つかったのは9年後の1982年のことで、すでに遺体となっていた。アンコールワットへの占有直後、クメール・ルージュによって処刑されていたのである。26歳という若さで戦場に散った一ノ瀬の生涯は書籍や映画、舞台などにしばしば取り上げられ、特に1999年に公開された映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』(主演・浅野忠信)は若い人を中心に人気を集めた。
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年表、功績
活躍の軌跡。『人生の残り時間』にも注目してください。意外な発見があります。
年月日 | 年齢(人生の残り時間) | 内容 |
---|---|---|
1947年11月01日 | 0歳 (あと26年) | 一ノ瀬泰造、生まれる |
1973年11月01日 | 26歳 (あと0ヶ月) | 一ノ瀬泰造、処刑され死去 |
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名言・最後の言葉
一ノ瀬泰造が語ったといわれる言葉。人柄や当時の心情が見えてきます。
- 「地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」辞世の句・最後の言葉
- 戦場から友人に宛てた手紙より。前後は以下「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」。
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