東山魁夷
ひがしやまかいい
昭和を代表する日本画家。本名は東山新吉。やさしい色合いでありながら生命感あふれる自然を描き続けた。1950年に発表した、まっすぐに伸びた一本の道だけを描いた『道』は高い評価を得て、代表作のひとつとなった。日本を代表する日本画家となった魁夷は、東宮御所や皇居宮殿の障壁画、奈良の唐招提寺御影堂の障壁画などの大作を次々と手がけ、その地位を確固たるものとした。ほか代表作は『緑響く』『残照』『桜』など。現在でもPCの壁紙などに利用され非常に人気が高い。妻は川崎小虎の長女・すみ。
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年表、功績
活躍の軌跡。『人生の残り時間』にも注目してください。意外な発見があります。
年月日 | 年齢(人生の残り時間) | 内容 |
---|---|---|
1908年07月08日 | 0歳 (あと90年) | 東山魁夷、生まれる |
1999年05月06日 | 90歳 | 東山魁夷、死去 |
名作
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名言・最後の言葉
東山魁夷が語ったといわれる言葉。人柄や当時の心情が見えてきます。
- 「私にとって絵を描くということは、誠実に生きたいと願う心の祈りであろう。謙虚であれ。素朴であれ。独善と偏執を棄てよ、と泉はいう」
- 著書『泉に聴く』より。
- 「帰着点と思えたところが出発点」
- 1984年のインタビュー記事より。画業が50年になった頃の言葉。
- 「ようやく絵の道の入口にたどり着いたような気もします」
- 1984年のインタビュー記事より。画業が50年になった頃の言葉。
- 「不遇の時代が長いほど、自分の中に蓄積されるものは大きいのです」
- あるインタビューにて。
- 「普通の風景も心が純粋になれば生命にあふれる」
- NHKのTV番組『あの人に会いたい』にて。
- 「『描いてほしい』という植物の声が聞こえる」
- 2004年放送、NHKのTV番組『あの人に会いたい』より。
子孫・子供
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記念館、銅像
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