年別に見る亡くなった、生まれた有名人(昭和編)
1905年に生まれた有名人
1905年は芸術文化、スポーツ選手、芸能人、犯罪者のジャンルで12名の有名人が生まれました。写真とプロフィール、名言つきで紹介します。各リンクから人物詳細でもっと詳しい情報を見ることもできます。
1905年に亡くなった有名人の一覧もあわせてどうぞ(0名)。
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1905年1月3日(火)
洋画家。夫は戦前のモダニズムを代表する画家のひとり三岸好太郎。89歳で女性洋画家として初めて文化功労者となり、死の直前まで筆をとった。故郷の愛知県一宮市には三岸節子記念美術館があり作品が展示され...(続きをみる)
1905年1月5日(木)
1905年3月30日(木)
1905年3月30日(木)
日本人初のオリンピック金メダリスト。アジア人初でもある。アムステルダムオリンピックの陸上・三段跳びで優勝、後に三段跳びの世界記録を塗り替えるなど、陸上競技で堂々と世界と渡り合った。引退後も、後進...(続きをみる)
- 織田幹雄の名言
- 『競技は頭で考えた理屈ではなく体の感覚で覚えるもの』
1905年4月20日(木)
島田正吾と共に、「動の辰巳、静の島田」とよばれ劇団新国劇を盛り上げた演劇界のスター。(続きをみる)
- 辰巳柳太郎の名言
- 『欠点のある人間臭い敵役が好き』
1905年5月28日(日)
日本を騒然とさせた猟奇殺人事件「阿部定事件」の犯人、芸妓。江戸時代から続く畳店の末娘として生まれ、近所でも評判の美少女として育った。しかしその後、家庭内の問題などからしだいに不良少女となり、17...(続きをみる)
1905年7月2日(日)
小説家。ブラジル農場での実体験をベースにした『蒼氓』(読み:そうぼう)で、第1回芥川賞(1935年)を受賞した。1938年に発表した中国戦線をテーマにした小説『生きてゐる兵隊』は新聞紙法問われ発...(続きをみる)
- 石川達三の名言
- 『広い社会公機構にぶつかって掘り下げ、現実をつかみ出す作品を書きたい』
1905年8月1日(火)
大正から昭和にかけて活躍し、生涯現役を貫いた女優。本名は松野八重子。夫は歌舞伎役者の十四代目守田勘彌(のち離婚)、娘は二代目水谷八重子。義兄が劇団芸術座に関わっていたことから、八重子も幼い頃から...(続きをみる)
- 水谷八重子(初代)の名言
- 『基礎ができていないと芝居が浅くなり舞台に立つ値打ちがない』
1905年10月2日(月)
小説家。本名は円地富美。夫は『東京日日新聞』の記者だった円地与志松。はじめは劇作家を志し、劇作家・小山内薫に師事した。小説家として評価されるようになったのは1960年代からと遅く苦労も多かったが...(続きをみる)
- 円地文子の名言
- 『命があれば書きます。何とか書いていきたい』
1905年10月9日(月)
1905年11月5日(日)
生まれ故郷の奈良を生涯撮影し続け、「大和路の入江」といわれたカメラマン。東大寺の近くで生まれ、古美術の鑑定をしていた父の影響で幼い頃から美術に触れていた。画家になることを夢見るも家族に反対され断...(続きをみる)
- 入江泰吉の名言
- 『情緒は感じるもので写真で表せない。その不可能を可能にしてみたい。』
1905年12月13日(水)
新国劇の名優。辰巳柳太郎とともに『動の辰巳、静の島田』とよばれ、新国劇を大いに盛り上げた。(続きをみる)
- 島田正吾の名言
- 『厳しさにチャレンジするのが、子供みたいに楽しいです』
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