今村昌平
いまむらしょうへい
映画監督、脚本家、映画プロデューサー。代表作に『復讐するは我にあり』『楢山節考』『黒い雨』『うなぎ』などがある。早稲田大学第一文学部卒業後、松竹大船撮影所に入社し、小津安二郎の助監督を主に務めた。その後、日活に移籍し1958年、『盗まれた欲情』で監督デビュー。都会の底部や小さな農村を舞台に人間の「欲」に焦点を当てた重厚な作風は高い評価を受け、1983年の『楢山節考』でカンヌ国際映画祭グランプリと日本アカデミー作品賞を、1990年の『黒い雨』でカンヌ国際映画祭高等技術賞、日本アカデミー作品賞などを受賞、さらに1997年の『うなぎ』で再びカンヌ国際映画祭グランプリを受賞するという快挙を成し遂げた。50年余りの長い監督人生のなかで20作品を世に送り出した名監督は、2006年5月30日、転移性肝腫瘍のため他界した。
今村昌平を共有しよう!
ツイート |
年表、功績
活躍の軌跡。『人生の残り時間』にも注目してください。意外な発見があります。
年月日 | 年齢(人生の残り時間) | 内容 |
---|---|---|
1926年09月15日 | 0歳 (あと79年) | 今村昌平、生まれる |
2006年05月30日 | 79歳 | 今村昌平、転移性肝腫瘍のため死去 |
今村昌平をチェックした人はこんな人物もチェックしています
今村昌平にとくに関係の深い人物を紹介。家族や恋人、友人など。
関連商品
関連する商品を紹介します。
今村昌平の関連商品は見当たりませんでした…。学歴
出身大学や高校などを紹介。
今村昌平の学歴は見つかりませんでした…。
エピソード・逸話
知られざる興味深いエピソードの数々。
今村昌平のエピソード・逸話は見つかりませんでした…。
名言・最後の言葉
今村昌平が語ったといわれる言葉。人柄や当時の心情が見えてきます。
- 「天才は必要ない。常識に縛られるな。粘っこく人間を追究し、無人の広野に向かって走り出す勇気を持て」
- 「本来、創造行為は他人に教えられない。創造行為は終(つい)に個人的な営みでしかなく、ほんの少しの手助けさえ拒むものだ」
- 「創作活動とは、農作物を作るがごとくやりがいはあるが、割の悪い仕事だ」
- 「監督として初めて立つ撮影現場はやはり怖かった」
- 書籍『映画は狂気の旅である』(日本経済新聞社)より。
- 「人間というものがかくも複雑多面体かということがある。甚だ面白きものだと思います」
- 2013年放送、NHKのTV番組『あの人に会いたい』より。
子孫・子供
偉人の血を受け継いだ方々を紹介します
- 天願大介(てんがんだいすけ)
- 今村昌平の息子(長男)である。脚本家、映画監督。今村昌平監督作品でる『うなぎ』、『カンゾー先生』などでは共同脚本も担当。
- 今村竑介(いまむらひろすけ)
- 今村昌平の息子(次男)にあたる。今村プロダクション代表取締役。
記念館、銅像
ゆかりの品が展示されている主な記念館。現在でも残る生家や墓所、縁のある土地にたてられた銅像など。
今村昌平関連の記念館は見つからなかったかも…。情報ある方、お知らせください。
今村昌平関連の人物
昭和の人物 人気ランキング
昭和ガイドとは
昭和をもっと身近に感じられるように。写真とか名言、子孫をいろいろ紹介。昭和 人気のタグ
昭和をもっと深く知る
- 人物の子孫
- 今でも続いているあの人物達の血縁
- 話題・タグ
- 話題ごとに昭和の有名人や名言をまとめて見る
- 年ごとの生まれた/亡くなった有名人一覧
- 各年ごとに有名人の写真や詳細を一覧で見る
- 今日は何の日?
- 生まれた・亡くなった有名人を日付別にみる
- 亡くなった年齢
- 亡くなった年齢ごとに昭和の有名人を見る
- 出身都道府県
- 都道府県別の出身人物が一目でわかります
- 出身学校、学歴
- 出身大学、高校ごとに見る有名人の意外な学歴
- エピソード
- 意外!?偉人に親しみがもてる逸話を紹介します
- 記念館・銅像
- 昭和の有名人にゆかりがある場所
昭和ガイドFacebook