年別に見る亡くなった、生まれた有名人(昭和編)
187年に生まれた有名人
187年は学者・教育者、財界人・経営者、その他、芸術文化、スポーツ選手、政治家のジャンルで30名の有名人が生まれました。写真とプロフィール、名言つきで紹介します。各リンクから人物詳細でもっと詳しい情報を見ることもできます。
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1870年2月23日(水)
1870年4月17日(日)
1870年11月8日(火)
1870年11月11日(金)
日本の禅文化を海外に広く紹介した仏教学者。本名は鈴木貞太郎。哲学者・梅原猛は鈴木について「近代日本最大の仏教者」と評している。帝国大学在学中に鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演から禅を学んだ。1897...(続きをみる)
- 鈴木大拙の名言
- 『座禅とは内に心をひそめること。自分が自分になるということである』
1871年3月17日(金)
1871年12月5日(火)
1872年2月1日(木)
1872年2月11日(日)
1872年2月14日(水)
100歳を超えてなお現役で活躍した彫刻家。本名は平櫛倬太郎。代表作である「鏡獅子」製作期間20年にもなる大作で、平櫛田中の集大成である。美術研究家・岡倉天心に師事、東京藝術大学構内には平櫛田中の...(続きをみる)
- 平櫛田中の名言
- 『いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる』
1872年4月12日(金)
1873年1月3日(金)
1873年2月26日(水)
1873年11月24日(月)
1874年2月22日(日)
1874年4月7日(火)
1874年12月23日(水)
1875年4月23日(金)
明治から昭和にかけて活躍した日本画家。本名は上村津禰(うえむらつね)、別名、常子(つねこ)。鈴木松年に師事し、松園の言葉をかりると「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」「一点の卑俗なところも...(続きをみる)
1875年7月31日(土)
日本における民俗学のパイオニアとなった民俗学者。東京帝国大学(現・東京大学)卒業後、農商務省に入り、法制局参事官、内閣書記官記録課長などを経て、貴族院書記官長となった。その後、官界を去り朝日新聞...(続きをみる)
- 柳田國男の名言
- 『うずもれて一生終わるであろう人に関する知識を残すのが民俗学』
1875年12月1日(水)
1875年12月8日(水)
1875年12月21日(火)
京都清水寺の貫主をつとめた。107歳まで生き、仏教界の要職を歴任し存在感を発揮した。一方で、『良慶節』と呼ばれる独特の説法で一般の方々にも広く親しまれた。1976年に誕生した五つ子の名付け親とし...(続きをみる)
- 大西良慶の名言
- 『よく食べよく働きよく眠る。その調和が善良な精神となる』
1876年7月30日(日)
思想家、実業家。日本初のヨガ行者でもある。本名は中村三郎(なかむらさぶろう)。天風会の創始者であり、中村天風が広めた心身統一法は、軍人・実業家・小説家などジャンルを問わず師事された。(続きをみる)
- 中村天風の名言
- 『今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に生きよ』
1876年10月4日(水)
言語学者。新村の功績でもっとも庶民の生活に馴染み深いのは、広辞苑の編纂である。(続きをみる)
- 新村出の名言
- 『大器晩成ならぬ小器中成』
1877年12月13日(木)
1878年2月18日(月)
1878年8月31日(土)
1878年9月22日(日)
昭和を代表する政治家。 優れた政治感覚で戦後日本を牽引し、復興の礎を築いた。(続きをみる)
- 吉田茂の名言
- 『アメリカは善意の悪政を敷いた。日本は自らの手で直すべきである』
1878年12月15日(日)
1879年1月30日(木)
1879年12月3日(水)
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