年別に見る亡くなった、生まれた有名人(昭和編)
194年に生まれた有名人
194年は芸能人、芸術文化、スポーツ選手、その他、政治家のジャンルで83名の有名人が生まれました。写真とプロフィール、名言つきで紹介します。各リンクから人物詳細でもっと詳しい情報を見ることもできます。
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1940年1月2日(火)
1940年2月11日(日)
1940年2月29日(木)
圧倒的な存在感と色気、卓越した演技力で観客を魅了した俳優。大の鉄道ファンとしても有名。俳優座養成所を卒業後、フジテレビのテレビドラマ『天下の青年』(1967年)でデビュー。その後、黒木和雄監督の...(続きをみる)
- 原田芳雄の名言
- 『自分が今思いついていることはダメ。思いついてないところを見たい』
1940年3月31日(日)
1940年5月13日(月)
昭和のマラソン選手。 陸上自衛隊所属として、東京オリンピックに出場。銅メダルを獲得した。 次回のメキシコオリンピックでは、周囲から金メダルを熱望され本人もそれを公言していたが、同年カミソリで...(続きをみる)
- 円谷幸吉の名言
- 『父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません』
1940年5月28日(火)
1940年5月29日(水)
前人未到の優勝回数32回を誇る「昭和の大横綱」と呼ばれた力士。第48代横綱。生涯戦歴は872勝182敗136休(87場所)。本名は納谷幸喜。身長は187cm、体重は153kg。得意技は左四つ、掬...(続きをみる)
- 大鵬幸喜の名言
- 『横綱より上はいないのだから 世の中みんなの見本なんです』
1940年7月30日(火)
1940年8月12日(月)
1940年11月23日(土)
コメディアン、俳優。芸能界入りする前は、プロボクサーとして日本フライ級チャンピオン(2度防衛)という異色の経歴を持つ。タレント時の愛称は「たこちゃん」、ボクサー時の愛称は「河童の清作」。本名は斎...(続きをみる)
- たこ八郎の名言
- 『めいわくかけてありがとう』
1940年12月1日(日)
1940年12月15日(日)
1940年12月25日(水)
1941年1月9日(木)
1941年2月12日(水)
登山家・冒険家。 世界初の五大陸最高峰登頂者(五大陸最高峰は、北米のマッキンリー(6194m)、南米のアコンカグア(6960m)、アジアのエベレスト(8848m)、アフリカのキリマンジャロ(58...(続きをみる)
- 植村直己の名言
- 『冒険で死んではいけない。生きて戻ってくるのが絶対、何よりの前提である』
1941年4月1日(火)
1941年4月17日(木)
昭和の代表的な脚本家の一人。『ウルトラマンシリーズ』から、NHK大河ドラマ『黄金の日々』、萩原健一主演の『傷だらけの天使』など、代表作は誰もが知る有名作品。子供向けから大長編、アウトローなどを自...(続きをみる)
- 市川森一の名言
- 『時代と共に生きている自分がいる証し、作品というのは』
1941年7月5日(土)
1941年11月27日(木)
1941年12月10日(水)
1941年12月28日(日)
1942年1月10日(土)
1942年1月31日(土)
1942年5月5日(火)
「ちいちい」の愛称で親しまれた俳優、タレント。俳優座養成所を卒業後、岡本喜八監督の『斬る』で映画デビュー。ちなみに、養成所時代の同期には、原田芳雄、林隆三、太地喜和子、前田吟、夏八木勲、小野武彦...(続きをみる)
- 地井武男の名言
- 『『想・創・奏』。想って創ってみんなで喜び合う。それが出来たら幸せ』
1942年7月23日(木)
1942年7月31日(金)
俳優、タレント。本名は同じ。アフロのようなパーマがトレードマーク。興味本位で俳優座養成所のオーディションを受験したところ合格し、19歳のときに俳優座研究生となる。俳優・細川俊之とは同期。俳優座養...(続きをみる)
- 石立鉄男の名言
- 『おまえはどこのワカメじゃー!』
1942年8月7日(金)
1942年11月7日(土)
1943年1月1日(金)
パワフルな歌唱力で人気があった歌手。愛称は「キーヨ」。代表曲『また逢う日まで』は売上げ100万枚を超える大ヒットとなった。翌年、『ゴッドファーザー~愛のテーマ』をカバーして立て続けに大ヒットを記...(続きをみる)
1943年1月5日(火)
1943年1月15日(金)
1943年1月17日(日)
1943年2月20日(土)
1943年3月8日(月)
1943年3月12日(金)
1943年6月10日(木)
1943年8月1日(日)
1943年9月29日(水)
昭和の名俳優。渋みのある演技でドラマ、舞台などで活躍。(続きをみる)
- 林隆三の名言
- 『感情を込めないと、我々役者は』
1943年10月9日(土)
1943年12月2日(木)
1944年2月1日(火)
1944年2月8日(火)
1944年2月9日(水)
1944年3月16日(木)
1944年3月18日(土)
漫才ブームの波に乗り「天才漫才師」と呼ばれた漫才師。本名は木村雄二(ゆうじ)。「やっさん」の愛称で知られる。長男は俳優の木村一八。西川きよしとのコンビ漫才は爆発的人気を呼び、「やすきよ漫才」とし...(続きをみる)
- 横山やすしの名言
- 『もう、つっぱるの、やめよか』
1944年5月22日(月)
1944年7月28日(金)
1944年9月11日(月)
1944年10月28日(土)
名脇役と知られた俳優。蜷川幸雄らと『現代人劇場』『櫻社』を旗揚げし、演劇畑で着実にキャリアを積む一方、徐々にテレビや映画にも出演。猟奇的な悪役から人情味のある善人など、確かな演技力で演じ分けた。...(続きをみる)
1945年1月18日(木)
1945年2月16日(金)
1945年10月4日(木)
1946年1月5日(土)
1946年6月21日(金)
1946年8月2日(金)
1946年8月6日(火)
1946年11月13日(水)
1947年1月18日(土)
1947年1月22日(水)
日本のプロ野球選手、監督、野球解説者、タレント。愛称は「仙さん(ちゃん)」「闘将」「燃える男」など。一人称は「ワシ」。妻を早くに亡くし、男手ひとつで2人の娘を育てた。 倉敷商業高校の野球部エー...(続きをみる)
- 星野仙一の名言
- 『弱いチームを引き受けるのは男のロマン』
1947年3月2日(日)
1947年3月20日(木)
1947年7月19日(土)
1947年11月1日(土)
報道カメラマン。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、UPI通信社東京支社に勤務されたが試用期間が終わると解雇され、フリーランスの戦争カメラマンとなった。1972年、カンボジアに入国するとベトナム戦...(続きをみる)
- 一ノ瀬泰造の名言
- 『地雷を踏んだら“サヨウナラ”!』
1947年11月4日(火)
1947年12月8日(月)
世界で初めてアルプス三大北壁(アイガー、マッターホルン、グランド・ジョラス)の冬季単独登攀に成功した天才的登山家。1974年に谷川岳一ノ倉沢滝沢大スラブの単独初登頂に成功したことにはじまり、19...(続きをみる)
1948年1月11日(日)
1948年1月13日(火)
1948年2月17日(火)
1948年4月24日(土)
日本の劇作家、演出家。 1974年に劇団『つかこうへい事務所』を設立。戯曲『熱海殺人事件』にて岸田國士戯曲賞をすると、人気が爆発。戯曲を固めきらず「口立て」とよばれる稽古場で台詞を常に変更して...(続きをみる)
- つかこうへいの名言
- 『それでも人を愛したり愛おしく思っていかなくちゃいけない』
1948年7月12日(月)
1948年7月28日(水)
シンガーソングライター。細野晴臣、松本隆、鈴木茂と結成したバンド『はっぴいえんど』は日本語ロックの先駆けとして注目を集めた。のちにソロとして活動し、アルバム『A LONG VACATION』(1...(続きをみる)
- 大瀧詠一の名言
- 『働いてはいないが遊んではいない。引いてはいるが、こもってはいない』
1949年1月1日(土)
フォークシンガーの草分け的存在。代表曲は『自衛隊に入ろう』『自転車にのって』『生活の柄』など。とくに『自衛隊に入ろう』は、東日本大震災後に『東電に入ろう(倒電に廃炉)』という替え歌が作成されるな...(続きをみる)
1949年1月2日(日)
20歳で自殺した立命館大学の大学生。弟と姉がいる。学生運動がピークを迎えていた頃に立命館大学に入学した高野は学生運動に身を投じた。しかし1969年(昭和44年)6月24日、3年生の時に鉄道自殺を...(続きをみる)
- 高野悦子の名言
- 『独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である』
1949年3月31日(木)
1949年5月6日(金)
1949年5月25日(水)
1949年6月7日(火)
1949年8月10日(水)
1949年9月19日(月)
ファッションモデル、ファッションデザイナー。パリコレにモデルとして出演するなど、スーパーモデルの草分けといえる。(続きをみる)
- 山口小夜子の名言
- 『意図を排除して自分を無にすることから、本質に触れる』
1949年9月21日(水)
現在でも絶大な人気のカリスマ俳優。日本人の父と在日韓国人3世の母との間に生まれる。 劇団での下積みを経て、ドラマ『太陽にほえろ!』のジーパン(柴田純)役で人気が爆発。 念願だったハリウッド映...(続きをみる)
- 松田優作の名言
- 『結局、女を意識することは自分の男を意識することでもあるわけだから』
1949年10月5日(水)
1949年10月10日(月)
ボクシング世界チャンピオンであり、ミュンヘンオリンピック日本代表。本名は小林和男。ハードパンチを武器に、WBC世界スーパーバンタム級、OPBF東洋太平洋フェザー級王者となる。ロイヤル小林は大卒ボ...(続きをみる)
- ロイヤル小林の名言
- 『正々堂々、スポーツマンシップは夢物語。勝つために何でもするのがプロ』
1949年10月21日(金)
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