年別に見る亡くなった、生まれた有名人(昭和編)
193年に生まれた有名人
193年はその他、芸術文化、芸能人、財界人・経営者、学者・教育者、スポーツ選手、政治家、犯罪者のジャンルで169名の有名人が生まれました。写真とプロフィール、名言つきで紹介します。各リンクから人物詳細でもっと詳しい情報を見ることもできます。
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1930年1月10日(金)
1930年1月13日(月)
1930年1月15日(水)
1930年1月20日(月)
1930年1月20日(月)
1930年2月9日(日)
1930年2月26日(水)
1930年3月16日(日)
1930年4月6日(日)
1930年4月7日(月)
テレビやラジオなどで活躍した評論家、ジャーナリスト、文筆家。トレードマークは片手に持ったパイプで、「だいたいやね」で語りだす独特な口調で知られた。「英文毎日」の記者、山陽特殊製鋼の調査部長、追手...(続きをみる)
- 竹村健一の名言
- 『他人をうらやんでも、自分は豊かになれない』
1930年4月29日(火)
女優、声優、童話作家。父は劇作家の岸田國士。夫は俳優の仲谷昇(のち離婚)。不思議な色気とユーモラスを兼ね備えた独特の存在感を持つ女優として人気を博した。文学座の研究生となり、1950年に初舞台を...(続きをみる)
- 岸田今日子の名言
- 『演じるとは裸になること』
1930年6月3日(火)
1930年7月3日(木)
1930年7月27日(日)
1930年8月6日(水)
1930年9月5日(金)
銅メダルを獲得したメキシコ五輪日本サッカー代表を率いた監督。また、選手としても日本代表ワールドカップ予選の第1号ゴールを挙げるなど活躍した。後年は、第8代日本サッカー協会会長などを務め、Jリーグ...(続きをみる)
- 長沼健の名言
- 『サッカーを通じてジェントルマンの第一歩をスタートさせたい』
1930年9月6日(土)
1930年10月8日(水)
現代音楽家であり、西洋音楽に東洋音楽の手法や楽器を掛け合わせたことで世界的な評価が高い。日本を代表する作曲家のひとりである。エッセイストとしても知られる。代表作は1967年に発表した琵琶と尺八と...(続きをみる)
1930年10月10日(金)
1930年11月10日(月)
民謡をベースにした実力を持つ演歌歌手。ミッチーの愛称でファンから親しまれ、春日八郎・若原一郎ととともに長らくキングレコードを支えたことから、『キング三羽カラス』『三人男』とよばれた。代表曲は『古...(続きをみる)
- 三橋美智也の名言
- 『情緒をなくしちゃいけないというのが僕のいき方です』
1930年12月8日(月)
1930年12月30日(火)
小説やエッセーなど幅広い分野で作品を残した作家。代表作は、芥川賞を受賞した小説『裸の王様』や『輝ける闇』『玉、砕ける』『耳の物語』など。またトリスウイスキーのキャッチコピー「人間らしくやりたいナ...(続きをみる)
- 開高健の名言
- 『朝露の一滴にも 天と地が 映っている』
1931年1月16日(金)
1931年1月28日(水)
1931年2月16日(月)
昭和を代表する俳優。渋みのある演技で存在感を発揮し、昭和から平成にかけてなくてはならない映画俳優だった。代表作は『南極物語』『幸福の黄色いハンカチ』『網走番外地シリーズ』『日本侠客伝シリーズ』『...(続きをみる)
- 高倉健の名言
- 『人生に取って大切なものはたったひとつ。心です』
1931年4月11日(土)
1931年4月16日(木)
1931年4月17日(金)
1931年5月10日(日)
国民的長寿アニメ『サザエさん』の磯野波平役などで知られるベテラン声優。俳優、ナレーターとしても活躍した。京都大学文学部を卒業後、広告代理店・電通に勤務しながら俳優養成所に通い、その後、劇団三期会...(続きをみる)
1931年8月29日(土)
1931年8月30日(日)
1931年10月23日(金)
1931年10月24日(土)
昭和を代表する名俳優の一人。テレビドラマや映画で長年にわたりお茶の間に親しまれた。代表作は『ザ・ガードマン』『新幹線大爆破』『赤いシリーズ』『さすらい刑事旅情編』『渡る世間は鬼ばかり』『スーパー...(続きをみる)
1931年11月1日(日)
「長さん」の愛称でお茶の間から愛されたコメディアン、俳優。ベーシストでもある。本名は碇矢長一。「ザ・ドリフターズ」の3代目リーダーで、コント番組『8時だよ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』は一世を風...(続きをみる)
- いかりや長介の名言
- 『笑いは客の心理を読まないと成立しない』
1931年11月29日(日)
1932年1月20日(水)
1932年1月30日(土)
1932年2月1日(月)
1932年2月22日(月)
「ガチョーン」「びろーん」「ムヒョー」などのギャグで人気者となったコメディアン。本名は渡部奏雄(やすお)。ちなみに芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイを日本語風にしたもの。また、...(続きをみる)
1932年3月7日(月)
1932年3月11日(金)
1932年3月14日(月)
「親分」「大沢親分」の愛称で親しまれたプロ野球選手、監督、野球解説者。孫はタレントの大沢あかね。立教大学野球部を経て(2年後輩に長嶋茂雄らがいる)、1956年に南海ホークスに入団、プロ野球選手と...(続きをみる)
- 大沢啓二の名言
- 『人間は十人十色のいいところを持っている』
1932年3月18日(金)
低音ボイスで聴衆を魅了したムード歌謡歌手。本名は永井清人。幼い頃から歌手になることを夢に見、アメリカ軍のクラブ歌手などを経験したあと1955年に『恋人よ我に帰れ』でデビューを果たした。そして、1...(続きをみる)
- フランク永井の名言
- 『人生は出会いのドラマ。もっとすばらしい人たちとすばらしい曲に出会い歌っていきたい』
1932年3月26日(土)
1932年3月31日(木)
日本の映画監督。1959年(昭和34年)に『愛と希望の街』で映画監督デビュー。以降、体制や権力に真っ向から立ち向かい社会性の高い作品を数多く発表、国内外から高い評価を受けた。代表作に『愛のコリー...(続きをみる)
1932年4月25日(月)
1932年6月2日(木)
行動する作家として知られている。世界を貧乏旅行した体験記『何でも見てやろう』は大ベストセラーとなる。(続きをみる)
- 小田実の名言
- 『思想というのは歩いて考えるのがいちばんいい』
1932年6月25日(土)
1932年7月6日(水)
戦後歌謡界を代表する作曲家。舟木一夫の『高校三年生』、千昌夫の『星影のワルツ』、森昌子の『せんせい』、島倉千代子の『襟裳岬』、山本リンダの『こまっちゃうナ』など数多くの大ヒット曲を世に送り出し、...(続きをみる)
- 遠藤実の名言
- 『心の中にいる歌神様がメロディーを与えてくれる』
1932年7月17日(日)
1932年7月19日(火)
1932年8月11日(木)
1932年9月6日(火)
指揮者、打楽器奏者。(続きをみる)
- 岩城宏之の名言
- 『結局は音楽を思う心だけ』
1932年9月10日(土)
1932年9月27日(火)
1932年9月30日(金)
1932年11月20日(日)
1932年11月23日(水)
1932年12月29日(木)
国民的長寿演芸番組『笑点』の4代目司会者として愛された落語家。歴代『笑点』司会者のなかで最も長い23年もの間、司会を務めた。本名は吉河寛海(ひろうみ)。円楽一門会の元総帥で、元最高顧問を務めた。...(続きをみる)
- 三遊亭圓楽 (5代目)の名言
- 『コピーはよしなさい。コピーだけはいけない』
1933年1月11日(水)
1933年3月1日(水)
1933年3月16日(木)
1933年4月13日(木)
『必殺』シリーズの中村主水、『はぐれ刑事純情派』の安浦刑事でお茶の間から人気を集めた俳優。コメディアン、歌手でもある。本名は、原田眞。舞台俳優としてデビューし、脇役でテレビドラマなどに出演してい...(続きをみる)
- 藤田まことの名言
- 『芝居も育っていかなくちゃ。生まれたまんまじゃ面白くない』
1933年4月27日(木)
1933年5月15日(月)
本名は池内義弘(いけうちよしひろ)。日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家。ちなみに、本人は名刺の肩書きに「強風下におけるマッチ...(続きをみる)
- 伊丹十三の名言
- 『既成概念に一撃加えることで新しいものが見えてくる』
1933年7月14日(金)
東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーチーム「東洋の魔女」の主将。ポジションはセッター。身長174㎝。あだ名は「ウマ」。2019年(令和元年)の大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜...(続きをみる)
1933年7月17日(月)
女優。本名は井田綾子。昭和時代劇の大スター萬屋錦之介は元夫、俳優・島英津男は長男。松竹歌劇団の養成学校在籍中の1949年に黒澤明監督の映画『野良犬』に出演、銀幕デビューを果たした。以後、代表作と...(続きをみる)
- 淡路恵子の名言
- 『ドラクエは裏切らない』
1933年8月16日(水)
昭和を代表する俳優。代表作は『仁義なき戦い』シリーズや『トラック野郎』シリーズ。特に深作欣二監督とタッグを組んだ『仁義なき戦い』は現在でも根強いファンがいるなど後世に残る作品となっている。(続きをみる)
1933年10月24日(火)
医者から転身した異色の経歴を持つ小説家。大胆な描写もいとわず、常に男女の愛憎を描き続けた。代表作は『失楽園』『化身』『無影燈』『遠き落日』など。とくに『失楽園』は大ベストセラーとなり、黒木瞳主演...(続きをみる)
1933年11月21日(火)
昭和を代表する俳優のひとり。俳優座出身のスケールの大きい確かな演技力で、主に劇団四季や蜷川幸雄演出作品で活躍した。代表作はNHK大河ドラマ『国盗り物語』や、蜷川幸雄演出の『王女メディア』『近松心...(続きをみる)
- 平幹二朗の名言
- 『あくまでクールに言葉を伝えていかなきゃいけない。感情で芝居をするなってことです』
1933年12月1日(金)
『ドラえもん』『パーマン』『キテレツ大百科』『オバケのQ太郎』など数多くの漫画を生み出した国民的漫画家。本名は藤本弘。トレードマークはベレー帽とパイプ。ちなみにこのベレー帽は相棒として活動してい...(続きをみる)
- 藤子・F・不二雄の名言
- 『子どもの夢と願望はすべての人間の基本』
1933年12月6日(水)
1933年12月9日(土)
1934年1月1日(月)
1934年1月1日(月)
俳優、タレント、司会者、作家と幅広いジャンルで活躍した。本名は北川清。もともと俳優志望ではなかったが、1958年に東宝映画第13期ニューフェイスに合格し、芸能界に入った。東宝時代は役に恵まれず、...(続きをみる)
- 児玉清の名言
- 『美しく負けると。きれいに負けていけばいいんじゃないかと』
1934年1月10日(水)
1934年2月5日(月)
1934年2月23日(金)
1934年3月10日(土)
1934年3月22日(木)
1934年4月16日(月)
コメディアン。愛称は「二郎さん」。当初は歌手を目指し上京するも、デビューの機会を掴めずに「浅草フランス座のコメディアンとなり、その後、萩本欽一と結成したお笑いコンビ「コント55号」を結成。坂上二...(続きをみる)
- 坂上二郎の名言
- 『夢は諦めたら消えちゃう。だから諦めたらいけない』
1934年4月28日(土)
1934年4月29日(日)
1934年6月18日(月)
1934年6月25日(月)
1934年7月3日(火)
1934年7月12日(木)
童謡歌手。数々の名曲を良さを伝え童謡界のカリスマと呼ばれた。なかでも『みかんの花咲く丘』『里の秋』が有名である。妹の川田孝子も童謡歌手。(続きをみる)
- 川田正子の名言
- 『童謡は心のふるさと、子どもたちに伝えたい』
1934年9月26日(水)
ウクレレ漫談家として人気を博した。「あーあ、やんなっちゃった、あーああ、驚いた」というフレーズ「やんなちゃった節」をハワイアンに乗せて社会を批評した。東京演芸協会会長。本名は大井守常。(続きをみる)
- 牧伸二の名言
- 『あーあ、やんなっちゃった、あーああ、驚いた』
1934年10月1日(月)
1934年11月15日(木)
1934年11月17日(土)
昭和から平成にかけて活躍した劇作家、小説家。 上智大学在学中から、浅草のストリップ劇場・フランス座にて幕間の芝居の脚本を書く。 その後放送作家としてデビューし、NHKで放送された人形劇『ひょ...(続きをみる)
- 井上ひさしの名言
- 『人間が起こした不幸なことは人間の手で防げるはず。なぜなら人間には言葉がある』
1934年12月8日(土)
1934年12月28日(金)
俳優および歌手として幅広い活躍をした。石原プロモーション初代代表取締役社長である。(続きをみる)
- 石原裕次郎の名言
- 『自分の手で気に入った映画が作りたい』
1935年1月31日(木)
鋭い眼光が印象的な俳優。愛称は「ミッキー」。ニヒルな雰囲気とドスのきいた声から悪役を多く演じ、特に映画『仁義なき戦い』シリーズをはじめ東映実録ヤクザ映画の常連俳優として人気を集めた。また、映画『...(続きをみる)
1935年4月19日(金)
TVドラマの名演出家として知られる。 代表作は、TBSにて向田邦子脚本を演出した『寺内貫太郎一家』『時間ですよ』など。 また、小説やエッセイも多数残している。(続きをみる)
1935年4月20日(土)
1935年6月27日(木)
1935年6月29日(土)
“ノムさん”の愛称で親しまれたプロ野球の名選手にして名監督。妻は“サッチー”こと野村沙知代、息子は元プロ野球選手で東北楽天ゴールデンイーグルス一軍作戦コーチの野村克則と継子の団(ダン)野村、ケニ...(続きをみる)
- 野村克也の名言
- 『人生最大の敵、それは“鈍感”である。』
1935年7月13日(土)
1935年7月23日(火)
1935年7月31日(水)
1935年8月25日(日)
1935年9月14日(土)
「ギャグ漫画の王様」と呼ばれた漫画家。『天才バカボン』『おそ松くん』『もーれつア太郎』『ひみつのアッコちゃん』など数多くの大ヒット漫画を生み出した。漫画家になろうと思ったきっかけは、手塚治虫の『...(続きをみる)
- 赤塚不二夫の名言
- 『自分が一番バカになればいい』
1935年9月22日(日)
1935年10月15日(火)
「世界のニナガワ」と呼ばれた日本を代表する舞台演出家。当時無名だった藤原竜也やジャニーズ事務所のアイドルを大胆に起用して、シェイクスピアやギリシア悲劇、清水邦夫・唐十郎・井上ひさし作品を演出する...(続きをみる)
1935年10月22日(火)
1935年10月29日(火)
1935年12月10日(火)
演劇実験室「天井桟敷」の主宰。 24歳のときにラジオドラマ『大人狩り』のシナリオを担当。その過激な内容が大きな反響をよぶ。 劇作家/演出家にとどまらず、小説家、作詞家、俳人、詩人、評論家から...(続きをみる)
- 寺山修司の名言
- 『六十歳まで生かしてほしい』
1936年1月2日(木)
「天才」と称された落語家。本名は松岡克由(かつよし)。トレードマークはハスキーボイス、ヘアバンド、色つきメガネ、そして辛辣な毒舌である。国民的長寿演芸番組『笑点』の初代司会者でもあり、番組を企画...(続きをみる)
- 立川談志(自称5代目)の名言
- 『意味なんかくだらない』
1936年1月24日(金)
1936年1月24日(金)
1936年2月22日(土)
1936年3月20日(金)
1936年4月1日(水)
1936年6月12日(金)
1936年6月19日(金)
1936年8月7日(金)
1936年8月14日(金)
1936年8月21日(金)
1936年8月22日(土)
1936年11月3日(火)
1936年11月17日(火)
1936年12月5日(土)
1937年1月11日(月)
1937年1月28日(木)
1937年2月6日(土)
1937年2月7日(日)
「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「UFO」(ピンク・レディー)など数々のヒット曲を世に送り出した作詞家。放送作家、詩人、小説家でもある。本名は深田公之。多夢星人(たむせいじん)の変名も使用した...(続きをみる)
- 阿久悠の名言
- 『マジメでオトナシイとはその子のことを何も見ていなかったということだ』
1937年2月11日(木)
1937年3月18日(木)
世界的な衣裳デザイナー。黒澤明監督の映画作品『乱』(1985年)にて衣裳デザインを担当し、アカデミー賞衣裳デザイン賞を受賞。夫は和田勉。(続きをみる)
- ワダエミの名言
- 『仕事というのは、いつも「初めまして」から始まるもの』
1937年5月17日(月)
1937年5月26日(水)
1937年5月29日(土)
昭和を代表する歌手・女優。本名は加藤和枝(かとうかずえ)。御嬢(おじょう)の愛称で親しまれた。(続きをみる)
- 美空ひばりの名言
- 『きょうの我にあすは勝つ』
1937年6月10日(木)
日本プロ野球史に残る名投手。選手としては生涯西鉄ライオンズ。 異名「鉄腕稲尾」のとおり、1953年の巨人日本シリーズでの全7戦中6試合登板、1957-59年に記録した3年連続30勝(57-58...(続きをみる)
1937年7月8日(木)
1937年7月20日(火)
重厚、軽妙、変幻自在の演技で観客を魅了した名優。本名は緒形明伸(あきのぶ)。なお、芸名は「おがたけん」と一般的に読まれるが、本人のなかでは「おがたこぶし」と読んでいる。長男は俳優の緒形幹太、次男...(続きをみる)
- 緒形拳の名言
- 『演じるとは演じないこと』
1937年7月29日(木)
1937年8月26日(木)
1937年10月24日(日)
料理研究家。息子は同じく料理研究家のケンタロウ。もともと主婦でテレビのワイドショーへの投稿をきっかけにテレビに出演するようになり、その後、人気料理研究家として活躍するようになった。簡単で美味しい...(続きをみる)
- 小林カツ代の名言
- 『親は子どもに「おいしいもの」を食べさせることがいちばん大事』
1937年11月8日(月)
1937年12月19日(日)
1937年12月24日(金)
1938年1月4日(火)
1938年1月9日(日)
1938年1月13日(木)
1938年1月20日(木)
1938年1月23日(日)
昭和を代表するプロレスラー。タレント。本名は馬場正平(ばばしょうへい)。 プロ野球選手として読売ジャイアンツ(巨人)でデビューするも、怪我もあり引退。 その後、力道山率いる日本プロレスからプ...(続きをみる)
- ジャイアント馬場の名言
- 『基本である1、2、3をきちんと練習しないで、いきなり4とか5をやるな』
1938年1月25日(火)
昭和を代表する漫画家。幅広いジャンルの傑作を残し、「漫画の王様」「漫画の帝王」と呼ばれた。藤子不二雄や赤塚不二夫とともにトキワ荘に居住し、腕を磨いた一人である。代表作は『サイボーグ009』『仮面...(続きをみる)
- 石ノ森章太郎の名言
- 『現代過去未来 舞台はどこでもいい。やっぱり人間を描いていきたい』
1938年2月4日(金)
1938年3月11日(金)
1938年3月30日(水)
昭和を代表する演歌・歌謡曲歌手のひとり。代表曲は『人生いろいろ』『東京だョおっ母さん』『愛のさざなみ』など。16歳の時に歌手デビュー、デビュー曲『この世の花』は大ヒットを記録し一躍人気歌手となっ...(続きをみる)
1938年4月4日(月)
1938年5月13日(金)
1938年6月28日(火)
1938年9月2日(金)
1938年10月31日(月)
1938年11月30日(水)
1938年12月16日(金)
1939年1月1日(日)
1939年1月12日(木)
1939年1月22日(日)
1939年2月15日(水)
1939年2月27日(月)
ファッションブランド「ケンゾー」を創業したファッションデザイナー。文化服装学院デザイン科師範科の「花の9期生」のひとりであり、同期には「コシノ三姉妹」のひとりコシノジュンコ、「ニコル」を立ち上げ...(続きをみる)
- 高田賢三の名言
- 『私は人を驚かすのが大好きである』
1939年3月14日(火)
漫画『はだしのゲン』で知られる漫画家。本名同じ。『はだしのゲン』をはじめ、同作の原型となった自伝漫画『おれは見た』など広島で自身が経験した被爆体験をもとににした作品を数多く発表し、戦争の恐ろしさ...(続きをみる)
1939年4月10日(月)
1939年5月8日(月)
1939年11月15日(水)
1939年11月17日(金)
1939年12月16日(土)
1939年12月25日(月)
映画『戦国自衛隊』『野生の証明』をはじめ300本以上もの映画やドラマに出演し、独特の空気感と抜群の演技力で存在感を発揮した俳優。本名は同じ。なお、一時期、芸名を夏木勲としていた。慶應義塾大学文学...(続きをみる)
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