年別に見る亡くなった、生まれた有名人(昭和編)
196年に亡くなった有名人
196年は芸術文化、財界人・経営者、その他、学者・教育者、芸能人、スポーツ選手、政治家のジャンルで40名の有名人が亡くなりました。写真とプロフィール、名言つきで紹介します。各リンクから人物詳細でもっと詳しい情報を見ることもできます。
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1960年1月24日(日)
1960年3月17日(木)
1960年6月15日(水)
1960年11月7日(月)
1960年12月4日(日)
1961年1月5日(木)
1961年1月16日(月)
1961年2月21日(火)
1962年2月20日(火)
1962年3月26日(月)
詩人・小説家。(続きをみる)
- 室生犀星の名言
- 『ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの』
1962年7月18日(水)
1962年8月8日(水)
日本における民俗学のパイオニアとなった民俗学者。東京帝国大学(現・東京大学)卒業後、農商務省に入り、法制局参事官、内閣書記官記録課長などを経て、貴族院書記官長となった。その後、官界を去り朝日新聞...(続きをみる)
- 柳田國男の名言
- 『うずもれて一生終わるであろう人に関する知識を残すのが民俗学』
1962年9月7日(金)
昭和を代表する大衆小説家。 『宮本武蔵』『新・平家物語』『私本太平記』『三国志』など大作を執筆。いずれも大ヒットとなり、「国民文学作家」とよばれた。 1960年(昭和35年)に文化勲章を受章...(続きをみる)
1963年1月27日(日)
1963年5月30日(木)
1963年6月8日(土)
1963年10月25日(金)
1963年12月12日(木)
日本を代表する映画監督。世界でも高い評価を得ている。 代表作は『東京物語』(続きをみる)
- 小津安二郎の名言
- 『テストと本番を同じように出来る人こそ名優だ』
1963年12月15日(日)
日本プロレス界の父。本名は百田光浩。 大相撲にて関脇まで昇進するも、みずから廃業。プロレスラーとして自ら設立した日本プロレスにてデビュー。 戦後始まったテレビ放送で、シャープ兄弟をはじめとす...(続きをみる)
1964年4月18日(土)
「東洋のロダン」と呼ばれた彫刻家。号は紅塐(こうそ)。娘は同じく彫刻家の朝倉響子と舞台美術家で画家の朝倉摂。彫刻家・高村光太郎とはライバル的関係にあった。代表作に、「墓守」(石膏原型は重要文化財...(続きをみる)
- 朝倉文夫の名言
- 『一日土をいじらざれば一日の退歩』
1964年4月26日(日)
西武グループの創業者。摩擦を恐れずに土地取得・開発を推進させる剛腕ぷりから、「ピストル堤」とよばれた。 東急の実質創業者・五島慶太と繰り広げた、東急対西武のいわゆる「箱根山戦争」はあまりに有名...(続きをみる)
- 堤康次郎の名言
- 『ごまかし、曖昧さ、嘘というものは、一度は通じても二度三度は通じない』
1964年5月6日(水)
作家、詩人。小説や詩だけでなく、明治末期から昭和まで長きにわたり活躍、評論、随筆、童話、戯曲、和歌など幅広いジャンルで数多くの作品を残した。また多くの校歌を手がけたことでも知られ、さらに絵画にも...(続きをみる)
1965年2月14日(日)
1965年3月6日(土)
1965年7月28日(水)
小説家。推理小説を日本に根づかせたことで広く知られる。 本名は平井太郎。ペンネームは乱歩が敬愛するアメリカの作家、エドガー・アラン・ポーをもじったものである。 (続きをみる)
- 江戸川乱歩の名言
- 『もともと生きるとは妥協することである』
1965年7月30日(金)
近代文学を代表する文豪のひとり。さまざまなジャンルの作品を発表したが、なかでも人気が高かったのは耽美的な作品であり、三島由紀夫など後世の作家にも大きな影響を与えた。代表作は『刺青』『痴人の愛』『...(続きをみる)
- 谷崎潤一郎の名言
- 『いつも女性には興味を持っている』
1965年12月29日(水)
世界にその名を知られた歴史に残る作曲家。「山田耕作」ともよく表記される。親しみやすい童謡から交響曲、軍歌や校歌まで幅広いジャンルで数多くの名曲を残した。代表曲は童謡『赤とんぼ』『待ちぼうけ』、歌...(続きをみる)
- 山田耕筰の名言
- 『新しい芽を育てる。これが人間のいちばん美しいところ』
1966年7月12日(火)
日本の禅文化を海外に広く紹介した仏教学者。本名は鈴木貞太郎。哲学者・梅原猛は鈴木について「近代日本最大の仏教者」と評している。帝国大学在学中に鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演から禅を学んだ。1897...(続きをみる)
- 鈴木大拙の名言
- 『座禅とは内に心をひそめること。自分が自分になるということである』
1966年7月31日(日)
1967年4月22日(土)
1967年8月17日(木)
言語学者。新村の功績でもっとも庶民の生活に馴染み深いのは、広辞苑の編纂である。(続きをみる)
- 新村出の名言
- 『大器晩成ならぬ小器中成』
1967年10月20日(金)
昭和を代表する政治家。 優れた政治感覚で戦後日本を牽引し、復興の礎を築いた。(続きをみる)
- 吉田茂の名言
- 『見ててごらん、今に立ち直る。必ず日本は立ち直る』
1968年1月9日(火)
昭和のマラソン選手。 陸上自衛隊所属として、東京オリンピックに出場。銅メダルを獲得した。 次回のメキシコオリンピックでは、周囲から金メダルを熱望され本人もそれを公言していたが、同年カミソリで...(続きをみる)
- 円谷幸吉の名言
- 『父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません』
1968年1月29日(月)
1968年10月25日(金)
1968年12月1日(日)
思想家、実業家。日本初のヨガ行者でもある。本名は中村三郎(なかむらさぶろう)。天風会の創始者であり、中村天風が広めた心身統一法は、軍人・実業家・小説家などジャンルを問わず師事された。(続きをみる)
- 中村天風の名言
- 『今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に生きよ』
1968年12月16日(月)
第35代横綱。いまだ破られない69連勝記録を持ち、大相撲史に残る力士であるばかりか戦前の国民的英雄であった。 四股名は双葉山定次(ふたばやまさだじ)。本名は龝吉定次(あきよしさだじ)。 圧倒...(続きをみる)
- 双葉山の名言
- 『われいまだ木鶏たりえず』
1969年3月13日(木)
1969年6月24日(火)
20歳で自殺した立命館大学の大学生。弟と姉がいる。学生運動がピークを迎えていた頃に立命館大学に入学した高野は学生運動に身を投じた。しかし1969年(昭和44年)6月24日、3年生の時に鉄道自殺を...(続きをみる)
- 高野悦子の名言
- 『独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である』
1969年7月17日(木)
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