年別に見る亡くなった、生まれた有名人(昭和編)
200年に亡くなった有名人
200年はスポーツ選手、芸術文化、その他、芸能人、学者・教育者、財界人・経営者、政治家のジャンルで142名の有名人が亡くなりました。写真とプロフィール、名言つきで紹介します。各リンクから人物詳細でもっと詳しい情報を見ることもできます。
200年に生まれた・亡くなった有名人を共有する
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2000年1月3日(月)
2000年1月13日(木)
夫の日本画科・丸木位里とともに、原爆の絵を描き続けた女流画家。1995年にはノーベル平和賞候補にも選ばれている。一方で、柔らかいタッチの絵本を描くことでも知られ、いわさきちひろを指導し強い影響を...(続きをみる)
- 丸木俊の名言
- 『頼まれもせず、売れもせず、という絵を描くのは気持ちがいい』
2000年1月23日(日)
2000年2月9日(水)
2000年2月9日(水)
2000年3月7日(火)
南海ホークスを常勝軍団に育て上げ、1733勝という前人未到の勝ち星を積み日本プロ野球史上最多勝監督となる。当初は30歳で選手兼監督として、のちに監督に専任して、22年に渡り南海一筋で指揮した。そ...(続きをみる)
- 鶴岡一人の名言
- 『プロはお客さんが選手に気合いを入れ、選手がプレーでお客さんをひきつける』
2000年5月10日(水)
2000年5月13日(土)
2000年5月14日(日)
2000年6月16日(金)
2000年6月22日(木)
「新劇の神様」とも呼ばれた俳優、演出家。ライフワークともいえる舞台『ゴッホ/炎の人』でのゴッホ役は83歳まで演じ続けた。中学卒業後、築地小劇場に入り、『ジュリアス・シーザー』で初舞台を踏んだ。1...(続きをみる)
- 滝沢修の名言
- 『俳優の仕事は、結局は自分自身の豊かさに尽きる』
2000年7月4日(火)
「Ueda-cho(植田調)」と呼ばれる斬新な“演出写真”を生み出し、世界にその名を知られる写真家。履物屋の息子として誕生し、小学校の頃には早くも写真のおもしろさにめざめる。はじめてカメラを買っ...(続きをみる)
- 植田正治の名言
- 『舞台として砂丘は最高にいい。』
2000年7月23日(日)
2000年10月12日(木)
上方芸能を長らく牽引した漫才師。南都雄二との夫婦漫才は一世を風靡した。(続きをみる)
- ミヤコ蝶々の名言
- 『人気というのは泡みたいなもんです』
2000年11月14日(火)
2000年12月5日(火)
2000年12月19日(火)
2000年12月28日(木)
2001年3月11日(日)
格調高い花鳥画で知られる日本画家。母は美人画の第一人者として名高い上村松園。息子の植村淳之も日本画家。2階のアトリエにこもり絵に没頭する母・松園のことを幼いころ「二階のお母さん」と呼んでいたとい...(続きをみる)
2001年3月17日(土)
2001年3月31日(土)
『歌舞伎界の至宝』『戦後の歌舞伎界における女形の最高峰』などと最高級の賛辞を受けた歌舞伎役者。生涯舞台一辺倒で、TVドラマや映画に出演することはなかった。(続きをみる)
- 中村歌右衛門 (6代目)の名言
- 『謙虚さをなくしたら芸はダメ』
2001年4月7日(土)
2001年4月14日(土)
2001年4月16日(月)
シンガーソングライター。同世代の男性が共感する男くさい歌詞を真っ直ぐに唄い、人気を博した。代表曲は『酒と泪と男と女』。(続きをみる)
- 河島英五の名言
- 『生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ』
2001年5月17日(木)
クラシック音楽から童謡、映画音楽、校歌まで幅広いジャンルで今も親しまれる曲を残した作曲家。エッセイストでもあり、1964年から2000年まで『アサヒグラフ』でエッセイ「パイプのけむり」を連載して...(続きをみる)
- 團伊玖磨の名言
- 『みんなのものになった音楽』
2001年7月28日(土)
戦後における日本の娯楽小説を代表する作家。時代小説、推理小説、伝奇小説のジャンルで名をはせた。本名は山田誠也。1946年、24歳の時に雑誌『宝石』の懸賞小説に応募した『達磨峠の事件』が入選。これ...(続きをみる)
- 山田風太郎の名言
- 『人間はどこまでも希望を忘れない』
2001年8月6日(月)
2001年9月9日(日)
2001年10月24日(水)
2001年11月8日(木)
四コマ漫画『フクちゃん』を長期連載して人気を博した。フクちゃんは早稲田大学のマスコットキャラクターにもなっている。ちなみに、テレビアニメ『鉄腕アトム』に先んじて1961年に日本初のテレビアニメシ...(続きをみる)
- 横山隆一の名言
- 『忙しい時ほど遊ぶ。それが一番面白い』
2001年12月10日(月)
昭和期に人気を集めた物真似師。古川ロッパ一座で俳優として修行をつみ、後に父・初代江戸家猫八の名を継ぎ、3代目江戸家猫八となる。本名は岡田六郎。愛称は江戸猫。落語家の三遊亭歌司は長女の夫、四代目江...(続きをみる)
- 江戸家猫八 (3代目)の名言
- 『ものまねの極意は、人間であることを忘れなりきること』
2001年12月11日(火)
2001年12月20日(木)
中国思想史の第一人者。(続きをみる)
- 福永光司の名言
- 『死とは生まれる前の自分にかえること』
2001年12月29日(土)
世界的な評価も高かった指揮者。大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督も務めた。28歳ではじめて指揮台に立ち、誰からも教わることなく独学で第一線の指揮者となった異色の経歴の持ち主である。(続きをみる)
- 朝比奈隆の名言
- 『人より1日でも長く生きて、人より1回でも多く指揮台へ立つ』
2001年12月29日(土)
2002年1月10日(木)
2002年2月2日(土)
2002年2月28日(木)
2002年4月26日(金)
昭和の歌人。17歳から作歌を始めるようになる。26歳のときに二・二六事件が起こり、父である陸軍少将・齋藤瀏が禁錮5年、知り合いである青年将校の多くが刑死したことは、斎藤史に大きな影響を与え、時代...(続きをみる)
- 斎藤史の名言
- 『暴力の かくうつくしき 世に住みて ひねもすうたふ わが子守うた』
2002年5月16日(木)
昭和を代表する落語家のひとり。落語家としてはじめて人間国宝に認定された。本名は小林盛夫。範士七段の段位を持つ剣道家でもある。息子は落語家の六代目柳家小さん、孫も落語家で柳家花緑。弟子に七代目(自...(続きをみる)
- 柳家小さん (5代目)の名言
- 『つらいときこそ笑いが希望になる』
2002年5月26日(日)
2002年6月12日(水)
2002年6月13日(木)
2002年7月18日(木)
2002年9月10日(火)
日本の彫金工芸の第一人者。現代の名工として、文化勲章をはじめ数々の賞を受賞した。(続きをみる)
- 帖佐美行の名言
- 『人間の本能の奥に住んでいるものと握手できる美』
2002年11月11日(月)
歴史学者。東京大学名誉教授。江上が発表した「騎馬民族征服王朝説」は、学会や世間をひろく巻き込んで大論争をよんだ。詩人としての顔も持ち、幻人のペンネームで詩集『幻人詩抄』などを発表している。(続きをみる)
- 江上波夫の名言
- 『歴史学は体験の科学である』
2003年1月12日(日)
2003年1月16日(木)
女性芸能人を被写体として数多くの写真を撮った人気カメラマン。『女性専科の秋山』の異名を持つ。晩年は花の写真を数多く手がけライフワークとしていた。写真集としては自費出版で出した処女作『翳』をはじめ...(続きをみる)
- 秋山庄太郎の名言
- 『平凡できれいがいちばん』
2003年3月14日(金)
俳人。本名は鈴木まさ。情熱の女流俳人として老いてなお恋の句を多数詠み、多くの共感をよんだ。また、50歳を過ぎてから銀座に小料理屋「卯波」を開き、以後、俳人と女将という二つの顔を持った。句集に『夕...(続きをみる)
- 鈴木真砂女の名言
- 『今生の いまが倖せ 衣被(きぬかつぎ)』
2003年3月23日(日)
2003年6月24日(火)
2003年9月25日(木)
上方演芸界の歴史に残る漫才師。本名は篠原博信。実弟である相方・喜味こいしとのコンビ『夢路いとし・喜味こいし』で繰り広げたしゃべくり漫才は、人々を笑いの渦に巻き込んだ。買い物ゲームバラエティ番組『...(続きをみる)
- 夢路いとしの名言
- 『二番手三番手のつもりでやってきたのが長くやれたコツ』
2003年11月1日(土)
戦後に活躍したドラマー。伝説のバンド『ビッグフォー(ビッグ4)』のメンバーでもある。本名は川口譲二。息子の川口雷二もジャズドラマーで『ニュービッグフォー』として活躍している。ジョージ川口は「ほら...(続きをみる)
- ジョージ川口の名言
- 『ドラムは命。死ぬまで現役』
2003年12月2日(火)
仏師、仏像修理の第一人者。京都の愛宕念仏寺の住職、東京芸術大学名誉教授でもある。その見事な腕は『現代の円空』と評され、その生涯で修復した重要文化財にあたる仏像は1300体にも及ぶ。仏師としての代...(続きをみる)
- 西村公朝の名言
- 『仏像を彫る心は平和を願う心』
2003年12月26日(金)
日本人初のプロボクシング世界チャンピオン。GHQ職員だった生物学者・カーンとともに、当時の日本では珍しかった科学的トレーニングを導入。1952年にアメリカ人ボクサーのダド・マリノとの世界タイトル...(続きをみる)
- 白井義男の名言
- 『スポーツに国境はない』
2004年3月20日(土)
「長さん」の愛称でお茶の間から愛されたコメディアン、俳優。ベーシストでもある。本名は碇矢長一。「ザ・ドリフターズ」の3代目リーダーで、コント番組『8時だよ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』は一世を風...(続きをみる)
- いかりや長介の名言
- 『(荒井注の葬儀の弔辞)おい、飲むんだぞ!飲む場所はあんたが決めといてくれ。じゃあ、いずれ』
2004年4月15日(木)
2004年4月20日(火)
科学をわかりやすく広めることに尽力した地球物理学者。「中学生が読んでもわかる科学雑誌」を目指し創刊された科学雑誌『Newton』の初代編集長。東京大学名誉教授、代々木ゼミナール札幌校校長なども務...(続きをみる)
- 竹内均の名言
- 『継続していれば、なんでもすごいことになる』
2004年5月19日(水)
言語学者、国語学者である。国語辞典の編纂や方言の研究で有名である。父は同じ言語学者でアイヌ語研究の第一人者としてしられた金田一京助。(続きをみる)
- 金田一春彦の名言
- 『言葉は時代とともに絶えず動いて化する』
2004年9月8日(水)
みなかみつとむ、とも読む。『飢餓海峡』『金閣炎上』や直木賞を受賞した『雁の寺』など、多数のベストセラーを生みだした小説家。五人兄弟の次男として誕生したが貧しさから子供のときに寺に修行に出されたが...(続きをみる)
- 水上勉の名言
- 『貧しさが私にいい球根を与えてくれた』
2004年11月18日(木)
2004年11月26日(金)
新国劇の名優。辰巳柳太郎とともに『動の辰巳、静の島田』とよばれ、新国劇を大いに盛り上げた。(続きをみる)
- 島田正吾の名言
- 『厳しさにチャレンジするのが、子供みたいに楽しいです』
2004年12月26日(日)
戦後日本を代表する女流詩人。戦前・戦後と時代が大きく変わるなか生活者の視点で「生きる」ことを鋭く端的な言葉で表現した。代表作に「挨拶」「表札」がある。高等小学校を卒業後、銀行に就職。以後、定年ま...(続きをみる)
2005年2月19日(土)
2005年3月22日(火)
「世界のタンゲ」として国内外で活躍した建築家。戦後日本建築界の重鎮として、復興期の日本の国家プロジェクトに数多く携わった。広島平和記念資料館(重要文化財)をはじめ、広島平和記念公園、東京オリンピ...(続きをみる)
2005年4月8日(金)
日本における代表的な現代建築家。息子は経済学者で慶応義塾長の清家篤。実際に住むユーザー視点で快適で機能的な住宅を提案し続けた。代表作品に、「森博士の家」「斉藤助教授の家」「私の家」「九州工業大学...(続きをみる)
- 清家清の名言
- 『家族の気配が常に感じられる家がいい』
2005年4月16日(土)
フォークシンガーの草分け的存在。代表曲は『自衛隊に入ろう』『自転車にのって』『生活の柄』など。とくに『自衛隊に入ろう』は、東日本大震災後に『東電に入ろう(倒電に廃炉)』という替え歌が作成されるな...(続きをみる)
2005年4月17日(日)
国語教師として52年間教壇に立ち続け、オーダーメイド式の教育方針「大村単元学習法」を確立したことで知られる。著書に『大村はま 国語教室』『教えるということ』などがある。(続きをみる)
- 大村はまの名言
- 『できてもできなくても、力いっぱい学んだ人たちに恵まれる平安が必ずある』
2005年5月24日(火)
「メンズファッションの神様」といわれた戦後を代表するファッションデザイナー。日本メンズファッション協会最高顧問で、ファッションだけでなく、ライフスタイルから思想にいたるまで戦後日本の文化に多大な...(続きをみる)
- 石津謙介の名言
- 『ダンディーとは自分勝手にうぬぼれること』
2005年6月10日(金)
2005年6月16日(木)
元・陸軍軍人。自称「神軍平等兵」として、昭和天皇パチンコ狙撃事件や皇室ポルノビラ事件などを数々起こした。 日本ドキュメンタリー映画史に残る傑作『ゆきゆきて、神軍』での出演で、その名が全国に広ま...(続きをみる)
2005年8月2日(火)
「ムッシュ村上」の愛称で親しまれたフランス料理の料理人。フランス料理の名門中の名門であるパリのホテル・リッツで腕を磨き、帝国ホテルの料理長に就任すると料理長を26年間にわたり務め、戦後日本におけ...(続きをみる)
- 村上信夫の名言
- 『料理は愛情と真心と工夫』
2005年8月2日(火)
2005年9月24日(土)
2006年1月6日(金)
漫画家、タレント。毎日新聞夕刊に連載した漫画『まっぴら君』は47年という途方もない連載記録を樹立した。また、タレントとしても『連想ゲーム』などに出演、軽妙なトークでお茶の間に愛された。(続きをみる)
- 加藤芳郎の名言
- 『スランプの時は自分を褒める』
2006年1月22日(日)
童謡歌手。数々の名曲を良さを伝え童謡界のカリスマと呼ばれた。なかでも『みかんの花咲く丘』『里の秋』が有名である。妹の川田孝子も童謡歌手。(続きをみる)
- 川田正子の名言
- 『童謡は心のふるさと、子どもたちに伝えたい』
2006年2月6日(月)
2006年2月8日(水)
「ゴジラの作曲家」として知られる現代音楽作曲家。ほぼ独学で作曲家となり、西洋音楽にはない日本らしさを追求した独自の音楽世界をつくりあげた。父が北海道十勝地方の音更村の村長になったのを機に、9歳の...(続きをみる)
2006年2月17日(金)
昭和に活躍した詩人、エッセイスト、童話作家。代表作として詩集『自分の感受性くらい』『倚(よ)りかからず』『見えない配達夫』『鎮魂歌』など。東邦大学の前身である帝国女子医学薬学専門学校の薬学部を卒...(続きをみる)
2006年3月2日(木)
TVドラマの名演出家として知られる。 代表作は、TBSにて向田邦子脚本を演出した『寺内貫太郎一家』『時間ですよ』など。 また、小説やエッセイも多数残している。(続きをみる)
2006年3月26日(日)
2006年5月29日(月)
2006年5月30日(火)
映画監督、脚本家、映画プロデューサー。代表作に『復讐するは我にあり』『楢山節考』『黒い雨』『うなぎ』などがある。早稲田大学第一文学部卒業後、松竹大船撮影所に入社し、小津安二郎の助監督を主に務めた...(続きをみる)
- 今村昌平の名言
- 『監督として初めて立つ撮影現場はやはり怖かった』
2006年6月13日(火)
指揮者、打楽器奏者。(続きをみる)
- 岩城宏之の名言
- 『オーケストラを一匹の生き物にする』
2006年7月1日(土)
2006年7月31日(月)
柳田國男や南方熊楠などの研究で知られた社会学者。上智大学名誉教授。地域住民の手による発展を論じた「内発的発展論」などが有名。和歌や日舞、着物など多様な趣味の持ち主としても知られる。2007年7月...(続きをみる)
- 鶴見和子の名言
- 『良く生きたと思って死ねたら、最高のハレ』
2006年7月31日(月)
徹底的な取材と膨大な資料により、記録文学とよばれる作品を発表し続けた小説家。代表作は『戦艦武蔵』『関東大震災』『破獄』など。(続きをみる)
- 吉村昭の名言
- 『事実を主にしても、私は小説を書いている』
2006年8月6日(日)
2006年9月24日(日)
人形浄瑠璃文楽の人形遣い。人間国宝である。(続きをみる)
- 吉田玉男の名言
- 『人形は私の魂ですから、人形を遣いながら死んでいきたい』
2006年9月24日(日)
戦後の日本映画界を牽引した俳優、映画監督。霊界研究者としても知られ、自らメガホンをとった映画『大霊界』も大ヒットした。50年以上におよんだ俳優生活で出演した映画は国内外の作品をあわせて300本以...(続きをみる)
- 丹波哲郎の名言
- 『気楽でなければ役者は出来ない。気楽でなければいいものは出てこない』
2006年10月30日(月)
文字学者、東洋学者。おもに古代漢文学を研究対象とし、独学から始めた長年の成果は漢字成立の定説に一石を投じた。古代漢字研究の第一人者としての成果は字書三部作『字統』『字訓』『字通』としてまとめられた。(続きをみる)
- 白川静の名言
- 『一歩ずつ運べば山でも移せる』
2006年11月20日(月)
斎藤茂吉の息子。父と同じく精神科医をしながら、作家としても活動。数多くのエッセイを発表し、『モタさん』の愛称で親しまれた。斎藤病院名誉院長、日本精神病院協会(現在の日本精神科病院協会)名誉会長、...(続きをみる)
- 斎藤茂太の名言
- 『結局100パーセント要求しないこと』
2006年12月17日(日)
女優、声優、童話作家。父は劇作家の岸田國士。夫は俳優の仲谷昇(のち離婚)。不思議な色気とユーモラスを兼ね備えた独特の存在感を持つ女優として人気を博した。文学座の研究生となり、1950年に初舞台を...(続きをみる)
- 岸田今日子の名言
- 『演じるとは裸になること』
2006年12月20日(水)
2007年1月5日(金)
日清食品株式会社の創業者。台湾生まれの在日中国人。 袋麺「チキンラーメン」とカップ麺「カップヌードル」の開発者として知られる。いずれも世界初の商品であり、食スタイルの変遷をよぶほどの革命的ヒッ...(続きをみる)
2007年2月25日(日)
戦後を代表する俳人の一人。俳人・飯田蛇笏(武治)の息子(四男)である。(続きをみる)
- 飯田龍太の名言
- 『写真に写せないものがある』
2007年3月1日(木)
2007年3月10日(土)
日本の川柳の第一人者で、激しく女性の情念をあらわす作風から「川柳界の与謝野晶子」ともよばれた。本名は大野恵美子。代表作の句集『有夫恋』はベストセラーとなった。月刊誌『川柳大学』を主催し、川柳の普...(続きをみる)
2007年3月14日(水)
2007年3月22日(木)
経済小説というジャンルを切り開いた小説家。代表作は直木賞を受賞した『総会屋錦城』、TVドラマ化された『官僚たちの夏』、ほか『硫黄島に死す』『落日燃ゆ』『そうか、もう君はいないのか』など。(続きをみる)
- 城山三郎の名言
- 『そうか、もう君はいないのか』
2007年3月27日(火)
高度経済成長時代の昭和を代表したコメディアン。俳優、歌手、ギタリストとしても活躍した。植木演じる破天荒なキャラクターの「無責任男」を主役にした『無責任シリーズ』は大ヒット、国民的スターとして人気...(続きをみる)
- 植木等の名言
- 『自分がやりたいことと、やらなければならないことは別なんだ』
2007年5月3日(木)
2007年5月6日(日)
2007年5月17日(木)
2007年5月17日(木)
2007年6月1日(金)
俳優、タレント。本名は同じ。アフロのようなパーマがトレードマーク。興味本位で俳優座養成所のオーディションを受験したところ合格し、19歳のときに俳優座研究生となる。俳優・細川俊之とは同期。俳優座養...(続きをみる)
- 石立鉄男の名言
- 『おまえはどこのワカメじゃー!』
2007年6月28日(木)
2007年6月28日(木)
2007年7月4日(水)
ご長寿料理番組『きょうの料理』の人気講師として知られる料理研究家。アートフラワーの創始者としても有名。長女の飯田倫子(ともこ)もアートフラワー作家として活動した。100歳で同番組に出演し飯田の大...(続きをみる)
- 飯田深雪の名言
- 『お教えすることは今でも同じ。これを教えたら喜ぶだろうと思う料理だけ』
2007年7月30日(月)
行動する作家として知られている。世界を貧乏旅行した体験記『何でも見てやろう』は大ベストセラーとなる。(続きをみる)
- 小田実の名言
- 『思想というのは歩いて考えるのがいちばんいい』
2007年8月1日(水)
「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「UFO」(ピンク・レディー)など数々のヒット曲を世に送り出した作詞家。放送作家、詩人、小説家でもある。本名は深田公之。多夢星人(たむせいじん)の変名も使用した...(続きをみる)
- 阿久悠の名言
- 『親にうしろ姿がないのだから 見て育つにも 育ちようがないじゃないか』
2007年8月14日(火)
ファッションモデル、ファッションデザイナー。パリコレにモデルとして出演するなど、スーパーモデルの草分けといえる。(続きをみる)
- 山口小夜子の名言
- 『意図を排除して自分を無にすることから、本質に触れる』
2007年9月29日(土)
女性科学者の草分け。専門の地球化学で海洋放射能の研究を行い、高い評価を受けた。現在、猿橋賞(さるはししょう)は、第一線で活躍する女性科学者に贈られる『猿橋賞』は、猿橋勝子が創設したものである。 (続きをみる)
- 猿橋勝子の名言
- 『科学者は技術的に腕を磨くだけでなくて、人間としての内容が充実しないと困る』
2007年10月24日(水)
2007年11月13日(火)
日本プロ野球史に残る名投手。選手としては生涯西鉄ライオンズ。 異名「鉄腕稲尾」のとおり、1953年の巨人日本シリーズでの全7戦中6試合登板、1957-59年に記録した3年連続30勝(57-58...(続きをみる)
- 稲尾和久の名言
- 『なぜ失敗したかより、なぜ成功したかが大事』
2008年1月16日(水)
2008年2月13日(水)
2008年2月20日(水)
日本友禅染めの人間国宝。伝統は大切にしながらも森口流蒔糊技法とよばれる技法(あえて淡色の濃淡で表現)を編み出すなど、友禅染めの第一人者として活躍した。(続きをみる)
- 森口華弘の名言
- 『自分に厳しくあれ。安易な考えでは出来ないですね』
2008年3月2日(日)
ノンフィクション作家。みずからもがんと戦いながら、がん医療や患者学といった問題について真正面から問い続けた。(続きをみる)
- 柳原和子の名言
- 『短い時間でも人間はだいじょうぶ』
2008年3月3日(月)
2008年4月2日(水)
児童文学の普及に多大なる貢献をした人物。『クマのプーさん』など今でも親しまれている欧米の児童文学の翻訳をいち早く手がけ、日本の子どもたちに紹介する一方、自らもオリジナルの児童文学を発表し続けた。(続きをみる)
- 石井桃子の名言
- 『児童文学の世界はあったかいものなんですよ』
2008年6月2日(月)
銅メダルを獲得したメキシコ五輪日本サッカー代表を率いた監督。また、選手としても日本代表ワールドカップ予選の第1号ゴールを挙げるなど活躍した。後年は、第8代日本サッカー協会会長などを務め、Jリーグ...(続きをみる)
- 長沼健の名言
- 『サッカーを通じてジェントルマンの第一歩をスタートさせたい』
2008年6月24日(火)
記録映画監督。代表作は、水俣病の今を映した一連の作品である。(続きをみる)
- 土本典昭の名言
- 『記録なければ事実なし』
2008年7月14日(月)
日本語の起源を追い続けた国語学者。日本語のルーツは古代タミル語であるという『クレオールタミル語説』を大胆に提唱する一方で、古典に対し綿密な統計を行い品詞の使用に法則を見出した『大野の語彙法則』を...(続きをみる)
- 大野晋の名言
- 『これからの時代は自分をはっきり相手に伝えなくちゃ』
2008年8月2日(土)
「ギャグ漫画の王様」と呼ばれた漫画家。『天才バカボン』『おそ松くん』『もーれつア太郎』『ひみつのアッコちゃん』など数多くの大ヒット漫画を生み出した。漫画家になろうと思ったきっかけは、手塚治虫の『...(続きをみる)
- 赤塚不二夫の名言
- 『自分が一番バカになればいい』
2008年10月5日(日)
重厚、軽妙、変幻自在の演技で観客を魅了した名優。本名は緒形明伸(あきのぶ)。なお、芸名は「おがたけん」と一般的に読まれるが、本人のなかでは「おがたこぶし」と読んでいる。長男は俳優の緒形幹太、次男...(続きをみる)
- 緒形拳の名言
- 『演じるとは演じないこと』
2008年10月27日(月)
低音ボイスで聴衆を魅了したムード歌謡歌手。本名は永井清人。幼い頃から歌手になることを夢に見、アメリカ軍のクラブ歌手などを経験したあと1955年に『恋人よ我に帰れ』でデビューを果たした。そして、1...(続きをみる)
- フランク永井の名言
- 『人生は出会いのドラマ。もっとすばらしい人たちとすばらしい曲に出会い歌っていきたい』
2008年11月7日(金)
2008年12月6日(土)
戦後歌謡界を代表する作曲家。舟木一夫の『高校三年生』、千昌夫の『星影のワルツ』、森昌子の『せんせい』、島倉千代子の『襟裳岬』、山本リンダの『こまっちゃうナ』など数多くの大ヒット曲を世に送り出し、...(続きをみる)
- 遠藤実の名言
- 『心の中にいる歌神様がメロディーを与えてくれる』
2009年3月2日(月)
2009年3月28日(土)
2009年5月2日(土)
バンド『RCサクセション』のボーカルとしてデビュー。 1970年代から2000年代まで活動。ブルース、ソウルをベースにしたロックを発表。常に日本の最前線にいた。代表作は『雨あがりの夜空に』『ト...(続きをみる)
- 忌野清志郎の名言
- 『今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ』
2009年5月27日(水)
3500曲以上もの歌謡曲をうみだした昭和歌謡界を代表する作詞家。本名は石本美幸。代表曲に美空ひばりの名曲「悲しい酒」や細川たかしのヒット曲「矢切の渡し」、森昌子の「愛傷歌」などがある。 病弱だ...(続きをみる)
- 石本美由起の名言
- 『テーマが古くても捉え方切り口が新しければ新しい歌になる。』
2009年7月1日(水)
2009年8月2日(日)
日本の競泳史に水泳選手。 第二次世界大戦後の水泳界で次々と世界新記録をぬりかえ、世界中から「フジヤマのトビウオ」として尊敬される。 日本中の期待を背負って出場した1952年のヘルシンキオリン...(続きをみる)
- 古橋廣之進の名言
- 『青春の一瞬を無駄にしないよう、全精力を投入してほしい』
2009年8月3日(月)
2009年10月21日(水)
2009年10月29日(木)
国民的長寿演芸番組『笑点』の4代目司会者として愛された落語家。歴代『笑点』司会者のなかで最も長い23年もの間、司会を務めた。本名は吉河寛海(ひろうみ)。円楽一門会の元総帥で、元最高顧問を務めた。...(続きをみる)
- 三遊亭圓楽 (5代目)の名言
- 『コピーはよしなさい。コピーだけはいけない』
2009年11月10日(火)
森繁久弥とも表記されることもある。 国民栄誉賞ほか多数受賞した昭和を代表するコメディアン、喜劇俳優である。もともとはNHKアナウンサー。愛称は爺、爺や、座長、座、モリシゲ、シゲさんなど。 代...(続きをみる)
- 森繁久彌の名言
- 『人生はピンとキリだけ知ればいい』
2009年11月14日(土)
2009年11月16日(月)
「男装の麗人」と呼ばれ「ターキー」の愛称で人気を博した女優、映画プロデューサー。本名は三浦ウメ(のち水の江滝子に改名)。1928年、東京松竹楽劇部(のちの松竹少女歌劇団)に第一期生として入団、こ...(続きをみる)
- 水の江瀧子の名言
- 『自分自身が絶えず社会と繋がっていなくてはいけない』
2009年11月22日(日)
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