年別に見る亡くなった、生まれた有名人(昭和編)
201年に亡くなった有名人
201年は芸能人、芸術文化、スポーツ選手、その他、政治家、学者・教育者、財界人・経営者、軍人、犯罪者のジャンルで202名の有名人が亡くなりました。写真とプロフィール、名言つきで紹介します。各リンクから人物詳細でもっと詳しい情報を見ることもできます。
201年に生まれた・亡くなった有名人を共有する
ツイート |
2010年1月13日(水)
2010年1月17日(日)
2010年2月17日(水)
『必殺』シリーズの中村主水、『はぐれ刑事純情派』の安浦刑事でお茶の間から人気を集めた俳優。コメディアン、歌手でもある。本名は、原田眞。舞台俳優としてデビューし、脇役でテレビドラマなどに出演してい...(続きをみる)
- 藤田まことの名言
- 『芝居も育っていかなくちゃ。生まれたまんまじゃ面白くない』
2010年4月9日(金)
昭和から平成にかけて活躍した劇作家、小説家。 上智大学在学中から、浅草のストリップ劇場・フランス座にて幕間の芝居の脚本を書く。 その後放送作家としてデビューし、NHKで放送された人形劇『ひょ...(続きをみる)
- 井上ひさしの名言
- 『人間が起こした不幸なことは人間の手で防げるはず。なぜなら人間には言葉がある』
2010年4月27日(火)
2010年5月2日(日)
2010年6月1日(火)
100歳を超えて舞台に立ち続け生涯現役を貫いた舞踏家。代表作として「ラ・アルヘンチーナ頌(しょう)」「わたしのお母さん」「死海」「睡蓮」などがある。1929年にスペインの革新的舞踏家ラ・アルヘン...(続きをみる)
- 大野一雄の名言
- 『踊りとは命と命のやりとり』
2010年7月10日(土)
日本の劇作家、演出家。 1974年に劇団『つかこうへい事務所』を設立。戯曲『熱海殺人事件』にて岸田國士戯曲賞をすると、人気が爆発。戯曲を固めきらず「口立て」とよばれる稽古場で台詞を常に変更して...(続きをみる)
- つかこうへいの名言
- 『それでも人を愛したり愛おしく思っていかなくちゃいけない』
2010年7月17日(土)
80歳を超えて現役で活躍し続けた日本シャンソン界の草分け的存在。父は自民党議員の石井光次郎。東京音楽学校(現・東京芸大)に在学中、シャンソンと出会う。卒業後、単身パリに留学しそこでシャンソン歌手...(続きをみる)
- 石井好子の名言
- 『悲しみを自分の胸にしまって歌っていくのが“歌うたい”。』
2010年8月23日(月)
日本を代表する人形作家で人形アニメの監督。代表作はNHK人形劇『三国志』。小学生の頃から人形をつくりはじめ、東宝撮影所美術部での仕事を経て、フリーの人形美術家としてアサヒビールや三ツ矢サイダーの...(続きをみる)
- 川本喜八郎の名言
- 『人形はひとことでいえば神、お仕えするもの』
2010年9月11日(土)
「ガチョーン」「びろーん」「ムヒョー」などのギャグで人気者となったコメディアン。本名は渡部奏雄(やすお)。ちなみに芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイを日本語風にしたもの。また、...(続きをみる)
2010年10月3日(日)
「バクザン先生」の愛称で知られた書道家、作家。本名は榊齊(はじむ)。ひょうひょうとしたキャラクターからCMやバラエティ番組にも多数出演し、お茶の間の人気者となった。師範学校卒業後、教員として国民...(続きをみる)
- 榊莫山の名言
- 『思い通りにできる、っちゅうのは、決まっていっぱい失敗した後や』
2010年10月7日(木)
「親分」「大沢親分」の愛称で親しまれたプロ野球選手、監督、野球解説者。孫はタレントの大沢あかね。立教大学野球部を経て(2年後輩に長嶋茂雄らがいる)、1956年に南海ホークスに入団、プロ野球選手と...(続きをみる)
- 大沢啓二の名言
- 『人間は十人十色のいいところを持っている』
2010年10月8日(金)
2010年10月22日(金)
2010年10月30日(土)
2010年11月5日(金)
2010年11月28日(日)
2010年12月28日(火)
戦前、戦後を通じて日本映画界に君臨した大女優。歌手、エッセイストとしても活躍した。愛称は「デコちゃん」。本名は松山秀子。夫は秀子の代表作のひとつ『二十四の瞳』で出会った映画監督で脚本家の松山善三...(続きをみる)
2011年1月14日(金)
2011年1月14日(金)
2011年3月10日(木)
コメディアン。愛称は「二郎さん」。当初は歌手を目指し上京するも、デビューの機会を掴めずに「浅草フランス座のコメディアンとなり、その後、萩本欽一と結成したお笑いコンビ「コント55号」を結成。坂上二...(続きをみる)
- 坂上二郎の名言
- 『夢は諦めたら消えちゃう。だから諦めたらいけない』
2011年4月21日(木)
国民的アイドルとして一世を風靡した3人組「キャンディーズ」のメンバーのひとりで女優としても活躍した。愛称は「スーちゃん」。本名は小達好子(旧姓:田中)。夏目雅子は義妹にあたる。1972年にNHK...(続きをみる)
2011年5月6日(金)
2011年5月16日(月)
俳優、タレント、司会者、作家と幅広いジャンルで活躍した。本名は北川清。もともと俳優志望ではなかったが、1958年に東宝映画第13期ニューフェイスに合格し、芸能界に入った。東宝時代は役に恵まれず、...(続きをみる)
- 児玉清の名言
- 『美しく負けると。きれいに負けていけばいいんじゃないかと』
2011年5月21日(土)
2011年7月5日(火)
2011年7月19日(火)
圧倒的な存在感と色気、卓越した演技力で観客を魅了した俳優。大の鉄道ファンとしても有名。俳優座養成所を卒業後、フジテレビのテレビドラマ『天下の青年』(1967年)でデビュー。その後、黒木和雄監督の...(続きをみる)
- 原田芳雄の名言
- 『自分が今思いついていることはダメ。思いついてないところを見たい』
2011年7月24日(日)
2011年7月26日(火)
2011年8月29日(月)
2011年10月12日(水)
2011年10月24日(月)
エッセイ『どくとるマンボウ』シリーズで知られる作家。精神科医、医学博士でもある。本名は斉藤宗吉。父は歌人で医師の斉藤茂吉。兄はエッセイストで精神科医の斉藤茂太。娘はエッセイストの斉藤由香と作家一...(続きをみる)
2011年11月21日(月)
2011年11月25日(金)
2011年12月1日(木)
2011年12月10日(土)
昭和の代表的な脚本家の一人。『ウルトラマンシリーズ』から、NHK大河ドラマ『黄金の日々』、萩原健一主演の『傷だらけの天使』など、代表作は誰もが知る有名作品。子供向けから大長編、アウトローなどを自...(続きをみる)
- 市川森一の名言
- 『時代と共に生きている自分がいる証し、作品というのは』
2011年12月20日(火)
昭和の映画監督、脚本家。 アイドル映画から、ミステリ、純愛、喜劇まど幅広いジャンルの作品を発表して、話題を呼んだ。61歳での早すぎる死は、映画ファンに衝撃を与えた。代表作は『の・ようなもの』『...(続きをみる)
2012年2月16日(木)
娘役の宝塚スターとして、その後、銀幕スターとして活躍した女優。本名は中川慶子。弟はアニメーター、キャラクターデザイナーの中川雄策。1941年から50年まで宝塚歌劇団に所属し、類まれな美貌から娘役...(続きをみる)
- 淡島千景の名言
- 『私はどこの女優である、何々の女優であると思わない。とっても自由なんです、気持ちが』
2012年2月24日(金)
『編集王』『同じ月を見ている』などで知られる漫画家。陰影の強い独特のタッチと「泥臭い」ストーリーの作風は読者の感情をダイレクトにゆさぶり、根強いファンを生んだ。高校生の時に『漫画アクション』の新...(続きをみる)
- 土田世紀の名言
- 『自分の読みたいマンガを、好きな絵の作家と創る……何か俺恥ずかしいことしてますかね』
2012年3月6日(火)
2012年3月14日(水)
2012年3月16日(金)
2012年4月8日(日)
2012年4月9日(月)
2012年5月15日(火)
2012年5月29日(火)
昭和を代表する映画監督、脚本家のひとり。自らの作品へのこだわりを貫くため、独立プロダクション『近代映画協会』を吉村公三郎、殿山泰司らと設立。近代映画協会会長となり活動したことから、日本インディペ...(続きをみる)
2012年5月30日(水)
パワフルな歌唱力で人気があった歌手。愛称は「キーヨ」。代表曲『また逢う日まで』は売上げ100万枚を超える大ヒットとなった。翌年、『ゴッドファーザー~愛のテーマ』をカバーして立て続けに大ヒットを記...(続きをみる)
2012年6月6日(水)
2012年6月15日(金)
2012年6月28日(木)
2012年6月29日(金)
「ちいちい」の愛称で親しまれた俳優、タレント。俳優座養成所を卒業後、岡本喜八監督の『斬る』で映画デビュー。ちなみに、養成所時代の同期には、原田芳雄、林隆三、太地喜和子、前田吟、夏八木勲、小野武彦...(続きをみる)
- 地井武男の名言
- 『『想・創・奏』。想って創ってみんなで喜び合う。それが出来たら幸せ』
2012年8月5日(日)
2012年8月29日(水)
2012年10月2日(火)
「ひでじい」の愛称で幅広い世代から愛された俳優。個性派俳優として60年以上もの長きに渡り数多くの映画、テレビドラマ、舞台に出演し活躍した。代表作は、映画『不毛地帯』『あにいもうと』、テレビドラマ...(続きをみる)
2012年10月17日(水)
2012年10月26日(金)
2012年11月10日(土)
日本を代表する大女優。歌手としても活躍した。1935年に映画『なりひら小僧 春霞八百八町』でデビューすると10代の頃から数多くの映画に出演、戦時中は日本軍慰問団に加わり歌手として戦線を巡回した。...(続きをみる)
- 森光子の名言
- 『そのときが誠実で一生懸命だったらそれでいい。あしたを生きましょう』
2012年11月15日(木)
2012年11月19日(月)
2012年12月5日(水)
伝統を重んじながらも常に新しい挑戦を続け、圧倒的な存在感と演技力、斬新なアイデアで観客を魅了した歌舞伎役者、俳優。前名の中村勘九郎は子役時代から46年間名乗っていた。本名は波野哲明(のりあき)。...(続きをみる)
- 中村勘三郎(18代目)の名言
- 『どんな面白いことになるか、いつも考えながら何かをつくり続け、誰かにバトンタッチしていく』
2012年12月18日(火)
2012年12月19日(水)
漫画『はだしのゲン』で知られる漫画家。本名同じ。『はだしのゲン』をはじめ、同作の原型となった自伝漫画『おれは見た』など広島で自身が経験した被爆体験をもとににした作品を数多く発表し、戦争の恐ろしさ...(続きをみる)
2013年1月4日(金)
2013年1月10日(木)
2013年1月15日(火)
日本の映画監督。1959年(昭和34年)に『愛と希望の街』で映画監督デビュー。以降、体制や権力に真っ向から立ち向かい社会性の高い作品を数多く発表、国内外から高い評価を受けた。代表作に『愛のコリー...(続きをみる)
2013年1月19日(土)
前人未到の優勝回数32回を誇る「昭和の大横綱」と呼ばれた力士。第48代横綱。生涯戦歴は872勝182敗136休(87場所)。本名は納谷幸喜。身長は187cm、体重は153kg。得意技は左四つ、掬...(続きをみる)
- 大鵬幸喜の名言
- 『横綱としてああいう相撲を取った自分が悪い!』
2013年1月20日(日)
99歳で発表した詩集『くじけないで』が160万部のベストセラーとなった詩人。「100歳の詩人」として多くのメディアでも取り上げられた。10代のときに奉公へ出、33歳で結婚。主婦のかたわら和裁で生...(続きをみる)
2013年1月20日(日)
2013年1月26日(土)
2013年2月3日(日)
2013年2月8日(金)
2013年3月5日(火)
2013年3月12日(火)
2013年3月23日(土)
『暮しの手帖』社を、妹・大橋芳子と立ち上げた創業者である。また、いまなお人気の高い同社の看板雑誌『暮しの手帖』を、盟友・花森安治らと立ち上げた創刊メンバーでもある。生涯結婚することなく、独身だっ...(続きをみる)
- 大橋鎮子の名言
- 『なにか面白いことはないかしら?』
2013年3月27日(水)
2013年4月4日(木)
2013年4月14日(日)
20年の長きにわたり続いた国民的映画シリーズ『釣りバカ日誌』のスーさんをはじめ数々の映画、ドラマ、舞台で活躍した名優。本名は佐藤政雄。長男は同じく俳優の佐藤浩一で、映画『美味しんぼ』で親子の役を...(続きをみる)
2013年4月25日(木)
歌手。愛称は「バタヤン」。戦後三羽烏のひとり(ほか、岡晴夫、近江俊郎)として活躍した。トレードマークは、水平にしたギターを胸のあたりで弾く独特のスタイルと、威勢の良い「オーッス!」という挨拶。代...(続きをみる)
- 田端義夫の名言
- 『私の歌に心がある限り、誰の心の糸も震わすことが出来る』
2013年4月29日(月)
ウクレレ漫談家として人気を博した。「あーあ、やんなっちゃった、あーああ、驚いた」というフレーズ「やんなちゃった節」をハワイアンに乗せて社会を批評した。東京演芸協会会長。本名は大井守常。(続きをみる)
- 牧伸二の名言
- 『あーあ、やんなっちゃった、あーああ、驚いた』
2013年5月11日(土)
映画『戦国自衛隊』『野生の証明』をはじめ300本以上もの映画やドラマに出演し、独特の空気感と抜群の演技力で存在感を発揮した俳優。本名は同じ。なお、一時期、芸名を夏木勲としていた。慶應義塾大学文学...(続きをみる)
2013年5月23日(木)
2013年5月23日(木)
2013年6月12日(水)
2013年6月13日(木)
2013年6月13日(木)
2013年7月29日(月)
日本各地の民族文化をドキュメンタリーとしてフィルムに収めた映画監督。映像民俗学者。100本以上にもおよぶ姫田の作品は、民俗学の貴重な資料となっている。株式会社民族文化映像研究所の名誉所長であり、...(続きをみる)
- 姫田忠義の名言
- 『記録は未来のためにある。』
2013年8月14日(水)
2013年8月22日(木)
2013年8月22日(木)
2013年9月7日(土)
2013年9月21日(土)
2013年9月29日(日)
『白い巨塔』『華麗なる一族』『大地の子』『沈まぬ太陽』など数々のヒット作を生み出した小説家。本名は杉本豊子。旧制京都女子専門学校(現・京都女子大学)を卒業後、毎日新聞社に入社し、勤務の傍ら小説を...(続きをみる)
2013年10月3日(木)
東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーチーム「東洋の魔女」の主将。ポジションはセッター。身長174㎝。あだ名は「ウマ」。2019年(令和元年)の大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜...(続きをみる)
2013年10月13日(日)
長年にわたり子供たちに愛され続けるアンパンマンの生みの親。漫画家、絵本作家、詩人。日本漫画家協会理事長や日本漫画家協会会長などを歴任。戦後、高知新聞に入社するも退職し上京、本格的に漫画家を志すよ...(続きをみる)
- やなせたかしの名言
- 『死ぬまで一生懸命やるんだよ』
2013年10月20日(日)
2013年10月22日(火)
2013年10月25日(金)
2013年10月28日(月)
「打撃の神様」と呼ばれた戦後プロ野球界の大スター。「ボールが止まって見える」という名言はあまりにも有名。熊本工業時代には投手として3度甲子園に出場。卒業後、巨人軍に投手として入団。その後、野手に...(続きをみる)
- 川上哲治の名言
- 『ボールが止まって見える』
2013年11月8日(金)
昭和を代表する演歌・歌謡曲歌手のひとり。代表曲は『人生いろいろ』『東京だョおっ母さん』『愛のさざなみ』など。16歳の時に歌手デビュー、デビュー曲『この世の花』は大ヒットを記録し一躍人気歌手となっ...(続きをみる)
2013年12月30日(月)
シンガーソングライター。細野晴臣、松本隆、鈴木茂と結成したバンド『はっぴいえんど』は日本語ロックの先駆けとして注目を集めた。のちにソロとして活動し、アルバム『A LONG VACATION』(1...(続きをみる)
- 大瀧詠一の名言
- 『働いてはいないが遊んではいない。引いてはいるが、こもってはいない』
2014年1月4日(土)
2014年1月11日(土)
女優。本名は井田綾子。昭和時代劇の大スター萬屋錦之介は元夫、俳優・島英津男は長男。松竹歌劇団の養成学校在籍中の1949年に黒澤明監督の映画『野良犬』に出演、銀幕デビューを果たした。以後、代表作と...(続きをみる)
- 淡路恵子の名言
- 『ドラクエは裏切らない』
2014年1月16日(木)
元陸軍少尉、実業家。終戦を知らずフィリピンのルバング島で諜報任務活動を続け、戦争終結から29年目にして帰国を果たしたことで有名。同様に終戦を知らず約28年間アメリカのグアム島にいた元日本兵・横井...(続きをみる)
- 小野田寛郎の名言
- 『死に残った身としては淡々と受け止めているが、友人の死は残念だ』
2014年1月16日(木)
2014年1月16日(木)
ミュージシャン、音楽プロデューサー。BOØWY、GLAY、JUDY AND MARY、THE BLUE HEARTS、エレファントカシマシ、筋肉少女隊、くるり、など時代を代表するバンドやアーティ...(続きをみる)
2014年1月17日(金)
2014年1月23日(木)
料理研究家。息子は同じく料理研究家のケンタロウ。もともと主婦でテレビのワイドショーへの投稿をきっかけにテレビに出演するようになり、その後、人気料理研究家として活躍するようになった。簡単で美味しい...(続きをみる)
- 小林カツ代の名言
- 『「これもいい」「あれもいい」という発想のほうがおいしい料理を作れる』
2014年1月27日(月)
国民的長寿アニメ『サザエさん』の磯野波平役などで知られるベテラン声優。俳優、ナレーターとしても活躍した。京都大学文学部を卒業後、広告代理店・電通に勤務しながら俳優養成所に通い、その後、劇団三期会...(続きをみる)
2014年1月27日(月)
2014年1月27日(月)
2014年2月28日(金)
童謡『ぞうさん』『やぎさん ゆうびん』『一ねんせいになったら』など多くの作品で国民的に親しまれた詩人。(続きをみる)
2014年3月14日(金)
昭和を代表する名俳優の一人。テレビドラマや映画で長年にわたりお茶の間に親しまれた。代表作は『ザ・ガードマン』『新幹線大爆破』『赤いシリーズ』『さすらい刑事旅情編』『渡る世間は鬼ばかり』『スーパー...(続きをみる)
- 宇津井健の名言
- 『自分を常に発展途上にしておきたい』
2014年3月27日(木)
舞台芸術家。ニューヨークのロックフェラー財団で舞台芸術を学び、蜷川幸雄やつかこうへい、唐十郎らの舞台で、舞台美術を担当。一時代を築いた。(続きをみる)
2014年3月30日(日)
名脇役と知られた俳優。蜷川幸雄らと『現代人劇場』『櫻社』を旗揚げし、演劇畑で着実にキャリアを積む一方、徐々にテレビや映画にも出演。猟奇的な悪役から人情味のある善人など、確かな演技力で演じ分けた。...(続きをみる)
2014年4月30日(水)
2014年4月30日(水)
医者から転身した異色の経歴を持つ小説家。大胆な描写もいとわず、常に男女の愛憎を描き続けた。代表作は『失楽園』『化身』『無影燈』『遠き落日』など。とくに『失楽園』は大ベストセラーとなり、黒木瞳主演...(続きをみる)
2014年6月4日(水)
昭和の名俳優。渋みのある演技でドラマ、舞台などで活躍。(続きをみる)
- 林隆三の名言
- 『感情を込めないと、我々役者は』
2014年6月27日(金)
2014年8月29日(金)
2014年9月7日(日)
李香蘭は中国香港で活躍した歌手・映画スター。本名は山口淑子。日本人であることを隠していたがのちに帰国。日本ではワイドショー『3時のあなた』の司会などにも芸能活動を広げ、また一方で参議院議員にもな...(続きをみる)
2014年9月20日(土)
2014年11月10日(月)
昭和を代表する俳優。渋みのある演技で存在感を発揮し、昭和から平成にかけてなくてはならない映画俳優だった。代表作は『南極物語』『幸福の黄色いハンカチ』『網走番外地シリーズ』『日本侠客伝シリーズ』『...(続きをみる)
2014年11月23日(日)
2014年11月28日(金)
昭和を代表する俳優。代表作は『仁義なき戦い』シリーズや『トラック野郎』シリーズ。特に深作欣二監督とタッグを組んだ『仁義なき戦い』は現在でも根強いファンがいるなど後世に残る作品となっている。(続きをみる)
2014年11月30日(日)
囲碁の歴史に残る棋士。呉清源が同時代のライバル棋士である木谷實とともにあみだした「新布石」は一世を風靡し、普段囲碁に興味のない一般の方々まで新布石の書籍を購入するなど、大ブームを巻き起こした。門...(続きをみる)
2014年12月4日(木)
2015年1月5日(月)
昭和の美容師。1997年上期に放送されたNHKの朝の連続ドラマ小説『あぐり』のモデルである。学生のころ、作家・吉行エイスケと結婚。子どもとして、小説家・吉行淳之介、女優・吉行和子、詩人/小説家・...(続きをみる)
- 吉行あぐりの名言
- 『不器用なんです。私は。ですから今日まで続いたんだと思いますよ』
2015年1月15日(木)
2015年1月17日(土)
2015年1月20日(火)
昭和を代表する柔道選手。山下泰裕との壮絶なライバル関係は伝説となっている。オリンピック柔道で95kg超級で2大会連続金メダルという偉業を成し遂げた。(ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピック)。(続きをみる)
2015年2月8日(日)
「キッコーマンしょうゆ卓上びん」などをデザインした工業デザイナー。1957年、GKインダストリアルデザイン研究所を設立。活動の幅は広く、秋田新幹線「こまち」のデザイン、JR成田エクスプレス、ヤマ...(続きをみる)
- 榮久庵憲司の名言
- 『みんな欲が少なすぎる。もう少し欲ばりの方がいい』
2015年2月14日(土)
シーナ&ロケッツのボーカリスト。本名は鮎川悦子。同バンドのギタリストである鮎川誠は夫。代表曲は『ユー・メイ・ドリーム』『レモンティー』など多数。(続きをみる)
2015年2月21日(土)
昭和・平成を代表する人気歌舞伎役者。前名である五代目・坂東八十助(ばんどうやそすけ)の名でも知られる。歌舞伎以外でも、趣味の城好きを活かして『坂東三津五郎がいく 日本の城ミステリー紀行』(BS朝...(続きをみる)
- 坂東三津五郎(10代目)の名言
- 『先人たちが学んだことを守り お客様と共感しながら舞台を創る この両輪でいく歌舞伎を目指している』
2015年2月28日(土)
2015年3月7日(土)
2015年3月19日(木)
2015年4月1日(水)
2015年4月14日(火)
2015年4月15日(水)
2015年4月22日(水)
2015年5月28日(木)
2015年7月11日(土)
任天堂の4代目社長、ゲームクリエイター、プログラマ。父は室蘭市長を務めた政治家の岩田弘志。高校時代にアメリカのヒューレット・パッカード社がつくったプログラムできる電卓と出会い、そのおもしろさにの...(続きをみる)
2015年7月13日(月)
2015年9月5日(土)
2015年11月20日(金)
2015年11月30日(月)
昭和を代表する漫画家のひとり。妖怪漫画の第一人者。第二次世界大戦中に、戦闘により左腕を失うも、戦後漫画家デビュー。代表作は『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』『のんのんばあとオレ』など多...(続きをみる)
2015年12月9日(水)
2016年4月3日(日)
2016年5月12日(木)
「世界のニナガワ」と呼ばれた日本を代表する舞台演出家。当時無名だった藤原竜也やジャニーズ事務所のアイドルを大胆に起用して、シェイクスピアやギリシア悲劇、清水邦夫・唐十郎・井上ひさし作品を演出する...(続きをみる)
2016年7月12日(火)
2016年7月31日(日)
「ウルフ」の愛称で親しまれた第58代横綱。長い大相撲の歴史で唯一「国民栄誉賞」を受賞するなど、不世出の力士である。度重なる肩の脱臼を、常軌を逸した筋トレで肩周りの筋肉を固めることで克服。精悍なマ...(続きをみる)
2016年10月20日(木)
ミスター・ラグビーと呼ばれた日本ラグビー史に残る人物。ポジションは主にスタンドオフ。伏見工業高校では花園(全国高校選手権大会)での優勝、同志社大学では大学選手権3連覇、神戸製鋼では日本選手権で7...(続きをみる)
2016年10月23日(日)
昭和を代表する俳優のひとり。俳優座出身のスケールの大きい確かな演技力で、主に劇団四季や蜷川幸雄演出作品で活躍した。代表作はNHK大河ドラマ『国盗り物語』や、蜷川幸雄演出の『王女メディア』『近松心...(続きをみる)
- 平幹二朗の名言
- 『あくまでクールに言葉を伝えていかなきゃいけない。感情で芝居をするなってことです』
2016年11月10日(木)
2016年12月4日(日)
2017年1月21日(土)
2017年1月25日(水)
2017年2月13日(月)
2017年3月1日(水)
2017年3月14日(火)
2017年4月6日(木)
2017年4月12日(水)
2017年6月13日(火)
2017年7月21日(金)
2017年11月16日(木)
2017年12月6日(水)
2017年12月8日(金)
2018年1月4日(木)
日本のプロ野球選手、監督、野球解説者、タレント。愛称は「仙さん(ちゃん)」「闘将」「燃える男」など。一人称は「ワシ」。妻を早くに亡くし、男手ひとつで2人の娘を育てた。 倉敷商業高校の野球部エー...(続きをみる)
- 星野仙一の名言
- 『夢は見るものではない。実現させるための目標である』
2018年1月26日(金)
2018年1月30日(火)
2018年3月13日(火)
2018年4月5日(木)
2018年4月23日(月)
2018年4月27日(金)
2018年5月2日(水)
2018年5月16日(水)
2018年6月18日(月)
2018年7月2日(月)
2018年7月13日(金)
2018年7月14日(土)
2018年8月4日(土)
2018年9月15日(土)
2018年10月8日(月)
2018年11月29日(木)
2019年1月12日(土)
2019年1月12日(土)
2019年2月8日(金)
2019年3月17日(日)
2019年3月26日(火)
2019年4月11日(木)
2019年5月12日(日)
2019年6月6日(木)
2019年6月26日(水)
2019年7月8日(月)
テレビやラジオなどで活躍した評論家、ジャーナリスト、文筆家。トレードマークは片手に持ったパイプで、「だいたいやね」で語りだす独特な口調で知られた。「英文毎日」の記者、山陽特殊製鋼の調査部長、追手...(続きをみる)
- 竹村健一の名言
- 『他人をうらやんでも、自分は豊かになれない』
2019年7月9日(火)
2019年7月28日(日)
2019年9月2日(月)
2019年11月29日(金)
2019年11月29日(金)
2019年12月12日(木)
2019年12月31日(火)
昭和ガイドとは
昭和をもっと身近に感じられるように。写真とか名言、子孫をいろいろ紹介。昭和 人気のタグ
昭和をもっと深く知る
- 人物の子孫
- 今でも続いているあの人物達の血縁
- 話題・タグ
- 話題ごとに昭和の有名人や名言をまとめて見る
- 年ごとの生まれた/亡くなった有名人一覧
- 各年ごとに有名人の写真や詳細を一覧で見る
- 今日は何の日?
- 生まれた・亡くなった有名人を日付別にみる
- 亡くなった年齢
- 亡くなった年齢ごとに昭和の有名人を見る
- 出身都道府県
- 都道府県別の出身人物が一目でわかります
- 出身学校、学歴
- 出身大学、高校ごとに見る有名人の意外な学歴
- エピソード
- 意外!?偉人に親しみがもてる逸話を紹介します
- 記念館・銅像
- 昭和の有名人にゆかりがある場所
昭和ガイドFacebook